中原昌也「マリ&フィフィの虐殺ソングブック」読了
(河出文庫 ASIN:4309012388)

「好きな男性のタイプは?」という質問に
「少年のこころを持ってい男性(ひと)」
と応える女子にとって、「少年のこころ」とはいったい何だろうか?
たとえば、彼女の誕生日や付き合って丸一年目の二人にとっての記念日に、彼氏からのプレゼンとして、指輪・帯どめなどの装身具でなく、カブトムシ(オス)とか、マブチモーターを備えた自作の潜水艦「ハウス・バーモンドカレー号」とか、嗅ぐと嘔吐しそうな臭いビン牛乳のふたコレクション(小2から小6まで集めたもの)などを渡された場合、女は、そのピュアな「少年のこころ」を好ましく思ってくれるだろうか?
私見では、「少年のこころ」はすべての男性が備えてた特長だと思う。けれどそれは、世間でいわれるほど無垢でない。むしろ怪獣的な暴力を礼賛し、頭の悪い残酷心を、うわばきやセロテープとコカコーラでゴッタ煮したようなしろもなのだ。
つまり、女子が理想に描く「少年の心」はまったくの幻想に過ぎず、それが彼女にとって好ましい効果をもたらすだろうなってのは、どだい無理な相談だ。
「マリ&フィフィの虐殺ソングブック」は、そんな等身大の「少年のこころ」が大活躍するものだ。
画太郎のマンガみたいだ、と思ったりしたが、そう言い切るのは多少ためらいがある。漫画太郎作品がクズのようなキャラとゴミのような背景から成り立ちながら、なぜか物語を発生させるのに対して、「マリ&フィフィの虐殺ソングブック」は同じような素材(つまりクズやゴミ)で構成されながら、走ろうとした途端にブツ切れで終了する。人参をぶら下げてもチラ見しただけで走ろうとしない馬を困ったヤツだなぁと思いつつ、よくよく観察するするとそれは馬でなくて、土管だった、みたな印象をうける。
逆説的な言い方をすれば、絶対に物語など作ってたまるか!という中原の強固な意志が、各断片を串刺しすることで、「マリ&フィフィの虐殺ソングブック」は小説として成り立っている。
映画的かと言うとそうでもない。どちらかと言うと絵画的。けど、北野武作品「3-4X10月 」の主役柳ゆうれいの野球の試合中浸る妄想のバリエーションという感じもする。そんなふうに言えば通じるか。
「マリ&フィフィの虐殺ソングブック」は、うわばきやセロテープのゴッタ煮くせに、厳かな静しつをたたえいる。
朝、通勤の電車で読んだ。メガネのメタボリックおっさんが朝っぱらからこんなワケわかんねー文庫を読んでると誰も思わんだろう、け、け、けと内心優越感にひたりながら読んだ。むろん、そのときの私の気分は、全く「少年のこころ」のなせるワザなのだ。


参照:
◇海難記,「中原昌也 芥川賞落選」
http://d.hatena.ne.jp/solar/20060714/p1

◇本よみうり堂 「中原昌也氏が新刊 「書けない」と「書きたくない」は違う」
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060329bk08.htm


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