伊勢崎賢治武装解除 紛争屋が見た世界」読了。
(講談社現代新書 ASIN:4061497677)

映画好きな友人が「ナイロビの蜂」という映画の試写会に行った際、来賓として鈴木宗男先生が紹介され、上映前に挨拶口上を垂れたらしい。
宗男先生曰く「これからはアフリカの時代だ」とのたまったとか。
私はこの話を聞いたとき、笑ってすませていたが、伊勢崎の「武装解除 紛争屋が見た世界」を読み、宗男先生の政治的嗅覚のすごさの一端に触れたようなに思った。
宗男、恐るべし。そう肝に銘じることにした。
伊勢崎は現在立教大の先生。「武装解除〜」は、伊勢崎がNGO活動時に関わった東チモールアフガニスタンシエラレオネの三国での国連統括PKO下の武装解除シゴト(アフガンは、安全保障理事会お墨付きの米国ゴリ押し臭プンプンの、NATO主導の国際治安支援部隊傘下の活動)の顛末記。
紛争屋とは、伊勢崎のやや自嘲気味の自己認識で、端的には武装解除シゴト人を指すようだ。紛争はヤクザの抗争みたいな極致的散発的なドンパチでなく、恒常的なドンパチ状態のことなのだなと改めて思った。
国連もヤクザの抗争がPKOの対象なら相当楽だろう。けども国連は紛争が小規模なうちは、当該国の国内問題と判断するため、介入しないらしい。つまり、国連介入の紛争案件は必然的に相当な泥試合の様相を呈している場合となる。
そんな途方もない紛争地帯での伊勢崎の職務内容とは、紛争を武力をもって制圧しつつ、再度国家としての体裁構築(民主的代表選挙の実施)に手を貸そうという国連の復興支援活動の一環で、具体的には紛争当事者双方に武器を捨てさせ、兵隊を解体し、彼らを一般市民のなかに返す、という段取りで構成されるらしい。
一触即発な状況下、こうした段取りを当事者に説得する過程で、紛争毎の特殊状況を把握し、それを更に説得に反映するという粘り腰の交渉力が伊勢崎の骨頂であり、また彼が生きている要因かもしれない。
また紛争後毎の特殊状況とは、当該国国内問題でなく天然資源利権や国際的な覇権争いの上での、当該国の「価値」を指すようだ。つまり、「復興」の手を差し伸べる国連の御勝手口に雁首を揃える面子と似たり寄ったりの面子が、「紛争」の支援をしている状況(マッチポンプ!)を伊勢崎は示唆している。
伊勢崎は、ある種国連のPKO活動下の武装解除活動は、そうした傲慢国際社会の片棒を担ぐことでしかないと思いつつも、紛争当該地域の市民にとって、紛争状態よりいくらかマシな「民主主義」に加担するのだろう。だからこそ、彼は自らを「紛争屋」と嗤うのだ。
ところで、この本を手にしたのは、佐藤優国家の罠」が示唆する、地政学的外交というのが一体なんだろう?が動機だった。宗男先生はある意味、戦後の東南アジアの「賠償ビジネス」モデルと角栄式な土木ビジネス両者の継承者なんだろうと思った。なかなかしぶとそうだよ、宗男先生は。
伊勢崎のオッサンのわりにみずみずしい感性が肌にあう合わない向きもあるだろうが、実際の紛争地域の真ん中に立って仲介した男のナマの情報分析のレポートとして相当読み甲斐がある。



武装解除 -紛争屋が見た世界
武装解除  -紛争屋が見た世界伊勢崎 賢治

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