京極夏彦邪魅の雫」読了
(講談社 ISBN:4061825089)

*下記の感想文はネタバレあるいはそれに近いあんばいになります。京極新作読書の楽しみを半減させるおそれがあるので、未読の方はなるべくなら読み終わってからまた訪問いただければサイワイです。


私ゴトで恐縮だが、かつて俺は本屋だった。いくつかの店舗を回って辞めるときはデカい店に所属した。
デカい店は配本もバカみたいにたくさんあって仰天したし、版元もひっきりなしにやってきた。
けれど、俺は小さい店で経験をつんだため、仕事の仕方が小さい店的だった。
今にして思えばデカい店所属のメリットいかして、どんどん人脈やらなにやらを構築すべきだったと思ったりもする。が、当時の俺はなにか意固地なほど小さい店出身に拘っていた。
たとえば、文春文庫や講談社の発注一覧表は、店の売上ランクによって、発送されてくるものが違っていて、小さい店には小さい店用のフルラインでない発注一覧表が送付されるたりする。だから、フェアとかで地味なものを拾うおうとする場合、取次発注端末をピコピコ打つか、手書き注文短冊しかなかった。
業界全体を見渡すような視座にたてば、物には限りがあるし、デカい店に物を集約するのが効率的であるのはわかる。しかし頭で理解できても、小さい店経験者の心情が理解を妨げた。小さい店で面白いフェアや棚を作ろうとするとデカい店の何倍もの苦労が伴うことに怒り、殺意をおぼえた。
だから、デカい店へ配属になってからも小さい店的なスタイルで仕事をしていた。いまさらデカい店流のやり方に変更するのはカッコ悪いと思っていた。というか、今となっては笑い草だが、当時の俺は仕事の効率よりも自分が育った小さい店に対しての仁義を優先したのだ。
換言するなら、当時俺は小さな店のプライドを背負ってデカい店で仕事していた。いま、小さな店のプライドと言ったが、それは小さな店の世間と言ってもいい。今にして思えば、それは単に俺の一人相撲だった。

京極堂シリーズ最新作「邪魅の雫」。今回のテーマは「世間」のようだ。
世間とはなにか?社会とそれを支える個人という西欧的図式では抜け落ちてしまう、共同体・集団という感じか。学校や職場、町内会、学会、趣味のサークルから、板橋区といった行政単位もそれにカウントされる。
世間は一人ぼっちでは構成しえない。たいてい不文律のようなものがあり、それを侵犯しないかぎり世間のメンバーでいられる。
前述したように本屋時代の俺の世間は、小さな店世間でだった。別の言い方をすれば、ある種の帰属意識が世間への忠誠心を生むといえるかもしれない。帰属対象はトンチンカンなものでもかまわない。というか、大概の世間は部外者からみるとトンチンカンに見えるかもしれない。実際今の俺からすると本屋時代の俺は相当窮屈なモノにしばられていたなという気分はいなめない。
世間は部外者は感知できない。つまり、帰属者の内面に世間はあるからだ。たとえば、血液型占い世間や男・女社会はまさにその典型といえるだろう。
かつて、IT業界から現れ将来の日本を牽引するリーダーとさえ目されたホリエモンが、逮捕後容疑者の段階で非難ゴーゴーされたり、ヤクザの法会を執り行った寺がスイマセンと陳謝するのも世間のなせるワザだ。死んだら仏の教えも世間の前にはカタナシなのだ。
あるいは、宰相の地位にあった者をその地位を利用し利権を貪る巨悪と断じ、何がなんでも有罪と半鐘をならすキャンペーンは、ニッポンがデカい世間であることを露呈した。
世間はそのメンバーに何を規範としているかを明確に提示はしない。ただ不文律は確実にあって、これに抵触したと判断された場合問答無用に世間から排除される。
「あいつはやりすぎた」という言い回しは相当オッカナイが、それほど意識されることなく普通に使われたりする(やっぱオッカナイ)。
世間とは魍魎の類なり。「邪魅の雫」の犯人の世間は、本屋時代の私のそれに酷似している。



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