○俺の感想文に著者の細馬さんご本人がリンクしてくれてはるー(いやむっちゃ嬉しいワぁ)。
http://www.12kai.com/pc/syohyo.html


お気に入りのポッドキャストに「ラジオ 沼」がある。
その「沼」のパーソナリティはかえるさんと名乗る関西イントネーションの柔らか声のおっさんだ。
「ラジオ 沼」。変てこなネーミングだ。陸地と水がくんずほぐれつ絡みあってずぶずぶで境界が曖昧な沼的な地点・目線からしゃべりたいというようなコトを、かつてかえるさんは語っていた。
かえるさんのいう沼的というのは単に通信と放送がズンズン垣根が低くなっているインターネットのことを指しているのではなく、コミュニケーションや行動が無意識に前提としているものを「陸地」(あるいは水的なものを)的なものをホンマに磐石なのか、と疑ってみようということだと思う。
ま、言ってみれば、ぼくらが酔っ払っても家に帰れたり、ボーっとしながらも自転車こいで目的地へゆけたり、友人に説教する際「だから俺はお前のためを思って言ってるんだー!」なんて台詞をほざいてしまうのも、ある種の磐石(と思ってる)ものに寄りかかっているはゆえにイチイチ意識することなく肉体や言葉を運転できるためだ思う。
繰り返しになるが、かえるさんの興味はぼくらの行為やコミュニケーションが無意識に全幅の信頼をよせている何かだと思う。で、そのかえるさんと名乗る関西イントネーションの柔らか声のおっさんこそが「絵はがきの時代」の著者細馬さんなのだ。
その意味で「絵葉書の時代」にも絵はがきというメディア・制度そのものにフォーカスするのではなく、絵はがきを受け入れた時代の感受性を追体験することに力点おかれいるのも当然なのだ。
たとえば、今のこどもたちはケータイもインターネットも当たり前になって、それらとクールに付き合うことができるの点はまったく敵わないな風な脱帽的感嘆をクチにしたりするが、ぼくら自身がテレビやラジオやそれこそ郵便という制度・技術をまったく当たり前に接してきた輩で、かつてそれらが頭角した時代のぶったまげたの衝撃や気分に思いをめぐらすまでに至らないのは相当間が抜けちゃないだろうか。
ぼくは「沼」経由で「絵はがき」読者になった。むろんこの逆に「絵はがき」経由で「沼」に踏み込む途もあるだろう。
聴いてから読むか、読んでから聴くか。かえるさん=細馬宏通さんのずぶずぶでもっちゃもっちゃで抜群にふぁっさふぁっさの地(あるいは水)平は、一切のモンキリ型にうんざり気味のすべての現代人に金田一耕助的逆立ちの効用を約束すると思う。


絵はがきの時代
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ポッドキャストラジオ「ラジオ 沼」
http://sweet.podcast.jp/home/numa/