○教祖宗悦

柳宗悦は、民藝」に宗教としての側面を見ていた。
それは、念仏によって成仏を説く念仏宗を援用し、作業に精進する職工たちのその姿勢は念仏行為に匹敵するというものだった。
平たくいえば、柳は、職工の物作りの工程を「祈り」と捉えた。
なぜロクロを回したり、機をおることが祈りなのか?たぶん柳は、キリスト教におけるルター派やカルヴィン派のなした信仰改革運動が念頭にあった。
「民藝」の教義が難解なのは、西洋のキリスト教受容の変遷と民衆社会関係性をモデルとして構想ながら、仏教用語で語ったためだ。日本には「西洋の目」が充満しているが、「日本の眼」を発揮すべきだと柳は太鼓をならしたが、当の柳こそ西洋かぶれの近代日本人だった。
柳の主張する「日本の眼」は彼の西洋的アタマが発想したものであり、ちっとも日本式でなかった。「民藝」においては、その宗教的側面は徹頭徹尾ハリボテだった。
柳は、西洋美術における作者の強い立場を嫌った。これは、作者の自己表現意識は美の追求というアート本来の目的にはそぐわないとする柳のアート観に基づいていた。だから柳が、自己表現に頓着しない職工の手仕事の美しさを大いに謳いあげた。
「民藝」提唱において、職工の手仕事礼賛こそ柳が西洋美術に食らわせたかった一撃だった。
繰り返しになるが、「民藝」の宗教的側面は屁理屈だった。結局柳の発想の源泉は、二項対置式の西洋流の思考だった。
要するに柳の「民藝」は、出来損ないの異端に過ぎなかった。