○幻の日本、美の浄土

柳宗悦の「民藝」は、西洋美術への対抗心から発案された。
よく知られるように、柳は朝鮮の地で「民藝」の着想を獲た。近代途上の朝鮮は柳に、かつてあっただろう日本を想起させた。かの地の庶民の生活がなんだか無性に懐かしく感じられた。つまり柳は、朝鮮に近代以前の日本を幻視した。
幻の日本を基準とした審美眼は、朝鮮の器にも内なる日本を転写させた。
朝鮮の人々はこれに冷淡だったが柳は聞き耳を立てず、逆に無理解を嘆いた。柳が朝鮮人を友と呼んだのは、目前の朝鮮が自身の内なる日本に映り重なったからで、完全な一人合点だった。柳の琉球絶賛も結局は近代以前の日本絶賛だった。
朝鮮や琉球にかつてあっただろう日本を見いだすという柳のムリヤリは、西洋の芸術家の傲慢さへの反発ゆえだった。
柳は、芸術家が自作を語ったり、コンセプト・着想を云々する姿が傲慢に映った。むろん当時の欧米の流儀が芸術家に自作について語る権利を大きく賦与してることは、柳も了解していた。けれど、易々と自作を語る芸術家は、柳には美くしいものへの奉仕という職務倫理という観点から、やはり不誠実な態度に思えてならなかった。
柳は、芸術家の作意に重きをおく点を西洋美術の欠陥と判断した。
私には、西洋流の芸術家は自分の作意に溺れ、本来の美の奉仕精神を見失っているように思えマス。だから、美のための奉仕精神を自覚し、西洋式でない体系を打ち建てることをここに誓いマス。
柳は、ミューズに己の進べく道を宣言した。だから「民藝」にはオルタナティブなアート潮流模索の意図があった。
冒頭に述べたように、柳は朝鮮の地で「民藝」発案の着想を獲た。西洋式の芸術家の傲慢さに敏感だった彼だが、自身の無謀さには思いっきり無頓着だった。
今日隆盛する鑑賞眼やそれを基礎にした現代アートやにおいて、作り手の作意にあまり注意を払わない日本独特な態度は、柳の西洋美術反発に由来する。