○職人の出現


柳宗悦の提唱した「民藝」は職工組合としての側面がある。柳はその着想を武者小路実篤の「新しき村」に得たと思う。
新しき村」の新しさは、たぶん自給自足というコンセプトにあった。これは当時顕在化しつつあった経済格差への是正手段として結構マジメに考えられたようだ。
自給自足ではないが職工の経済的自立を目指すという点で、柳の「民藝」は職人版「新しき村」でだった。両者の違いは、実篤が実際の農業で悪戦苦闘したのに対し、柳は実技には従事せず「民藝」の美的先進性を説くことに専念した点にある。
実篤の「新しき村」は今や古びた廃村になってしまったが、「民藝」はそのテイストをいまだに発展継承し続けている。
今日の「民藝」趣味の興隆は、ひとえに柳の「民藝」説法にある。平たく言えば、彼の言説は職工がこしらえる器や道具に神妙なブランドイメージを付与することに成功した、ということ。
兎に角、柳の「民藝」説法は職工を芸術家並の地位、「民藝作家」なるものに結果的に引き上げた。
職工は「先生」と呼ばれるソンザイになった。職工が経済的に自立できる環境を整えた柳の功績は大である。しかし、柳は職工はあくまで職工であって芸術家ではないと口スッパク言ったくらいだから、「先生」の作品が売れたり「先生」然として振舞う職工を目の当たりにしたとき、柳は内心フクザツな心境だっただろう。

友人のクサタオ(仮名)がオモシロイと絶賛してたので、図書館で「海洋堂クロニル」を手にとった。ボーメという人気造形師と現代美術の村上隆の対談の箇所を読んだ。
造形師とはフィギュア人形の形をこしらえる職工を指すようだ。フィギュアコレクターはお気に入りの造形師がいるようで、ボーメはその道で名の通った職人らしい。
彼は村上作品の製作を手伝ったことがあり、対談でその経緯説明があった。(海洋堂の)宮脇専務に言われたから、あなた(村上)に会った、とボーメは語っている。
ボーメ自身は村上の表現活動にぜんぜん興味がなさそうだ。というか、村上作品を手伝うことによって、彼のフィギュアにも海外でアート的な評価がついているよう。けれど、そうしたアート界からの評価に彼自身は困惑の様子。
ボーメは自らを職人と定義している。対談中の彼の発話からその定義を推測するに、平面の描かれたキャラクター(マンガやアニメなどの)を立体に起こそうとする際に出くわす矛盾をどうやって造形的に解決するか、その試行錯誤の工程が好きという作業愛が彼の職人魂で、ボーメの自己規定のようだ。

私にはボーメの職人気質こそが柳が理想とした職工の態度に適うように思う。
造形師がすべてボーメのように職人カタギとは限らないが、アート側に擦り寄らなくても収入が得られる経済的基盤の確立がボーメのような自覚的な職工を輩出しているのかもしれない。
柳は、近代美術における表現者の我執、芸術家の作意に疑問持ち、作意が前面に押し出した西洋美術に異を唱えた。作意がでしゃばらなくても美しいものがあると「無事の美」という「ものの眺め方」を提出した。「民藝」運動もそうした柳式の美の追求が礎になっている。しかし「民藝」は彼の没後も発展継承されながらも、柳の希求に反し、先生化・家元化の方向に驀進するようになった。
今、柳が生きていたら、日本民藝館にボーメのフィギュアを飾ったにちがいない。


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武者小路実篤 日向新しき村
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