○「興味ない」とはどういうことか


奥泉光「モーダルな事象」巻末の千野帽子という人の解説を読み返しつつ、小説の歩んできた道のりについてつらつら考えた。
千野によれば、小説の歩みとは、その語りから作者がヒョッコリ顔を出すような講釈師臭さを消し、より透明な語り手を確立する歩み、歴史だったとする。
透明な語り手というのは、作中人物の目を通して小説内部世界を読者に見せるように語る書き方、技術のこと。
ヘミングウエイを開祖とするハードボイルドという手法も透明な語り手という技法のうちのバリエーションのひとつで、コレが探偵小説に大きな潮流を敷いた。
新聞記者文体との親類性も指摘されるハードボイドだが、その決定的な違いは新聞記者は生身たが、作中人物は虚構である点だろう。ウソをあたかも本当らしく語るのための実地研さんが小説の歩みであり、その方法手段が、透明な語り手発明だった。ホントらしく語るためには新聞文体も利用したわけだ。
ところが、明治文明開化の近代日本文学において、作中人物の目や耳や内面を通して作中世界をホントにあったことのように語る透明な語り手の手法は、作家自身が率直に見た景色や会話を書き留める式に自己の体験を赤裸々語るように進化し「私小説」達成し大繁盛した。
「余話であるが」、「以下無用のことながら」などのマクラコトバ後に展開される歴史挿話・蘊蓄や意見表出を過剰に内包する司馬遼の例のあのスタイルを彼自身は「近代説話」と名付けた。これは司馬遼が小説=私小説の気配が濃厚な当時の文学状況に相当に不満があったためだと察せられる。つまり司馬遼は、私小説を嫌うがゆえに、近代小説の歩みにおいて、時代遅れのダサいに講釈師めいた語り手を召喚してしまった。
司馬遼は、自分のスタイル近代説話をたとえて「バスク人」と言った。言語的に周囲の民族と似ても似つかない言語をはなすバスクと文学のなかの近代説話という自分の境遇を重ね合わせた。
その意味において彼はスタイルに自覚的だったと思うが、結局司馬遼の文学上の手法の選択、講釈師めいた語り手を導入は、透明な語り手による真実味あるフィクションの構築をめざしたという小説の歴史に背を向ける結果となった。司馬遷を敬愛し、日本史のうちに材を採った司馬遼太郎が、近代文学=小説の歩み・歴史についてはひどく冷淡だったのは皮肉なハナシだ。
司馬遼同様にいわゆる司馬遼ファンもまた語たる手法についてあまり興味がなさそうだ。言い換えれば、司馬遼について云々する際、歴史観や史実に対する姿勢や知識は評価の対象となるが、透明な語り手の開発という近代小説の技術史の側面での司馬遼の語る手法上の退行に関心を持たない態度が司馬遼ファン的それと言える。
語られる材と語る手法。どちらも相応に歴史があって今日ある。にもかかわらず、語られた内容に拘泥し、語る手法の成立に無関心である態度は、はたして司馬遼作品に対して冷静であるといえるだろうか。否、コトは司馬遼にとどまらない。歴史好きを自任するなら、近代小説のあゆみ・小説の歴史にも目配せし、竜馬や西郷どん勝海舟ら幕末維新の志士に抱いた表敬の念を、フロベールやヘミングウエイやポール・オースター後藤明生奥泉光ら小説スタイル維新の志士にも多少分け与えたとしても罰があたる道理もないだろう。
趣味のモンダイと言われればそれまでだが、小説の技術史好きは、歴史好きから排除されるのか?
司馬遼太郎は敬愛する司馬遷にその着想を得たのだが、その司馬遷匈奴や東越、南越など「蛮族」の周辺諸国もその列伝に組み入れる度量を示した。もし今日彼が存命なら、小説技術について一個列伝を立てるのではないだろうか。
とにかく、司馬遼ファンのが好む「歴史」とはきわめて限定された概念のようだ。硬直した頭脳が新たな時代を切り拓く可能性はない。



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