立花隆ロッキード裁判批判を斬る 1」
朝日文庫 ISBN:4022610298

ブックオフで100円で購入。しかし品のない立花の書きっぷりは50円でも高いと思った。
立花と云えば、角栄金権政治の暗部を告発したジャーナリストとして有名だし、宇宙とか脳とかサルとか臨死体験とか日本共産党等など政治の暗部のみならず、科学からオカルトまで精通した「知の巨人」である。
「知の巨人」というのはたぶん版元のつけた称号だろう。ま、いわゆるインテリである。
インテリにはインテリ風の書き言葉というものがある。しかし、立花は多少伝法な書き言葉を使う。これはおそらく彼の本籍がジャーナリズムで、その生臭い空気を大いに呼吸したためであると推察する。天下のジャーナリストはお行儀よく、ごちそうさまとか、あの一杯おひやくださいませんかなどと悠長に構えてたら、メシもくえないのだろう。
そう察することにやぶさかでないが、「ロッキード裁判批判を斬る 1」の文章はあまりにひどい。下品の一語に尽きる。
書きっぷりの酷さに加え、論理の荒さも目立つ。ある事柄についてさまざま論や説が百出することはある。事柄が国民的関心事であればなおさらである。
およそインテリという世間的な地位、役割というものは、ある事柄についてまざまな論や説が飛び交う状況を冷静な視点で眺めその論点を整理し、コンセンサスを形成するよう努力することではないだろうか。立花の本拠地ジャーナリズムにもまた、そうした役割があってしかるべきだ。
ロッキード事件とその周辺事情に詳しい友人タムラマロ(仮名)によれば、渡部昇一の下衆な批判に立花もヒートアップしてしまったようだ。
むろん立花とて人の子であるから、ハラワタ煮えくり返ることもあるだろう。しかし、そういう個人的な感情を抑え、巨視的に問題を冷静に見据えることが、ジャーナリストの使命のひとつではないか。そうでないと、唾の掛け合いお前のカーちゃん出べそ、なにをてめぇっ、俺のカーちゃんのヘソみたことあるんか!ああそうか、オマエさしずめヘソフェチ野郎だな。他人のカーちゃんのヘソ、かってに見るなー式のみっともない大人の野次りあいになってしまう。で、本書はその典型をなしている。
第14章「「青年将校論」と「腐敗礼賛論」の首尾一貫」は、コーチャンに日本の刑訴法にない刑事免責を、検察の起訴便宜主義を根拠とする起訴猶予を充てることを妥当とした半谷判決の是非を論点としている。私が本書を手にとったのも、立花がこの点をどう評価しているか知りたかったためだから気合を入れて読んだ。しかし立花は半谷判決擁護の立場なのだが、「諸君!」誌でもたれた匿名法律家座談会での「C」氏に矢鱈噛み付くといった具合で、反論というより罵倒の類といったありさまで、大変がっかりした。
個人的な見解を述べれば、「一国の行政を預かる最高責任者にあった者に対し、かかる疑惑がもたれること事態、民主主義の」にはじまる半谷判決は、一見まっとうで理念もきっちりしている風であるが、法の番人としての職務からはやはり逸脱したものと考える。 すべて裁判官は、その良心も大切であるが、同時に「憲法及び法律にのみに拘束される」ことをわきまえなくてはならない、と思う。
立花が直感的イチャモン主義(っぽい)渡部を攻撃する場合のみでなく、玄人筋、法律家に対してまでも揚げ足とりの罵倒をもって対抗するの仁義を欠くように思う。
よからぬ邪推を働かせば、ロッキード事件の世論的盛り上がりは自分の手柄であり、その親玉である角栄を裁判で有罪でなければ、俺の手柄が尻すぼみになってしまうから、俺の手柄を半減させるような批判、反論は徹底的に叩くといったあんばいの狭い了見が「〜批判を斬る」朝日ジャーナル連載当時の立花を支配していたのではないだろうか。ま、そう邪推してしまうほど本書は反論に対して一かけらの敬意もなく、動物園のゴリラが檻からうんこ投げつける式の悪意の噴射が観察される。至極残念。