堀田力「壁を破って進め〈下〉―私記ロッキード事件」読了


山本七平「「派閥」の研究」を読んでいて、ロッキード事件捜査当時の検察の捜査方針に疑問を抱いた。疑問の箇所は、ボーイング社のコーチャンが証言するにあたって彼が黙秘権を行使しないよう、その発言から明らかになるコーチャン当人の罪を免責を日本の検察が確約した点。
その疑問を検証するため、「壁を破って〜」を手にとった。
堀田力法務省検事局参事官兼検事という肩書きでアメリカ当局との証拠保全譲渡及び、証人尋問のアメリカ当局への嘱託手続きを担当し、ロッキード事件捜査をバックアップした。
この辺はイケイケで面白い。が、問題の点、コーチャンがだんまりをきめこまないように彼の罪を問わない刑事免責の(日本における)法的根拠を検察の起訴独占主義(検察が起訴不起訴について独占的に判断する権利をもつこと)に求めている点はやはり行きすぎのように思う。おまけに最高裁が刑事免責を永久に保証するお墨付きを出したようだ。

刑事事件は罪刑法定主義の原則があり、法に定められてない行為がたとえどんなに人の道に外れていたとしても、罪に問われない。別の言い方をすれば、法律を知っている知らないにかかわらず刑罰規定に触れた場合、その対象となりうる。
堀田が構築した、コーチャンに刑事免責を認める法的根拠はテクニカルな法解釈の範疇から逸脱し、罪刑法定主義という日本国刑法理念の根幹をゆるがす危険性をはらんでいると私は考える。
この事件の陣頭指揮をとった吉永永祐介主任検事の当時の腹のうちを邪推するなら、堀田がアメリカ当局と協力しコーチャンの証人尋問を可能にすることよりも、そうした堀田の「活躍」をマスコミが大々的に報じることにより、容疑者、参考人らに精神的なプレッシャーを加えることを意図したのではないだろうか。
別の言い方をするなら、吉永は法廷においてコーチャン証言の証拠能力が無効な可能性を折り込み済みで、マスコミにあおられた世論を味方に捜査を展開したのではないだろうか?
そういう意味で堀田は特捜の捨て駒だったように見える(実際堀田の検察人生はエリートから外れている)。
まったく邪推の域をでないが、法律運用に通暁したベテラン特捜検事が、堀田の法解釈を「弱い」と思わないほうが、おかしいと思う。
当時の首相、三木武夫は、世論を後ろ盾にロッキード疑惑の徹底解明を謳い、自らの政権生命を維持したようだが、特捜も吹き荒れるロッキード疑惑への怒りの世論を利用したようにみえる。
今現在進行形のライブドア堀江前社長を逮捕の東京地検特捜の動きを、権力追従の立場のみでなく、客観的な目で報じる報道姿勢があれば、この国はもっと住みやすくなると思う。

堀田が「壁を破って〜」を書こうと思った動機は、法務省の彼の法務省刑事局の上司だった安原が退官後に会った際、ロッキード事件について書こうと思っていると堀田に告げながら、それを形に出来ぬまま他界したことに由来するようだ。
つまり堀田は安原の遺志ぐために「壁を破って〜」を書いたわけだ。邪推連発だが、安原は堀田がこの事件に関与したことでキャリア的に不遇を背負ってしまったことを気にかけていたのではないかと思う。端的にいえば、安原は事件当時、自分は堀田の悪を憎む素朴な正義魂を利用したのではないかという罪悪感が心の片隅にあったのでは?と。
堀田はその遺志をついだ。名文名調子から程遠い平易文体は、当時吉永とかわした言葉のやり取りのリアルさを一層高めていると思う。


参考
http://www.gameou.com/~rendaico/kakuei/rokiido_siyokutakuzinmon.htm



壁を破って進め〈下〉―私記ロッキード事件
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