竹内洋丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム」読み中
中公新書 ISBN:4121018206


ウルトラ怪獣図鑑やその亜流は、動物や魚介図鑑の体裁をとっている。各怪獣の生息場所や好物についての記述があり、彼らの足の裏の形状を魚拓よろくし紹介したアイディアも図鑑の特長によるものだろう。ただ、われわれ往年の児童がそれをむさぼりよみ、そらんじ、怪獣たちへの敬愛、思慕の心情を培養したのは、怪獣のフォルムそれ自体よりも当図鑑群の、怪獣一頭一頭がウルトラの兄弟たちと如何に戦い、彼らを苦しめたか、またはどのようないきさつで敗北を帰したという図鑑という体裁からはみ出した部分、戦歴記述によってなされたと思う。
すなわちウルトラ怪獣図鑑とは、図鑑であると同時に列伝の側面を併せ持つと考える。
列伝とはシナ大陸の紀元前の人、前漢の歴史家司馬遷が発明した歴史記述様式である。その特徴は人間中心ともよべる歴史観で、運命論を退け、個々人の行動と思考が世界を動かしうるという司馬遷人智に対する厚い信頼が後ろ盾となっている。いってみれば、前漢時代にシナ大陸において、人間中心の歴史を思考しうる文明が既にあったということだろう。
ゆえに、ウルトラ怪獣図鑑ないしその亜流にみえる列伝様式の片鱗は、本朝におけるシナ文化の登用が時節をへて、大衆化した慣れの果てともいうべ現象の証左である。

司馬遼太郎が幕末明治期を記述する際に採った方法もまた小説と列伝の合体に他ならない。上に列伝なる歴史記述方式は人間の力量によって世界が変化するという司馬遷の見識である旨書いた。どんな道具がそうであるように、この歴史記述体にも向き不向きがある。
司馬遼は、どうしてあんな無茶な戦争につっこんでいったのか?という命題を自答する形で幕末明治を懸命に取り組んだとしばしば耳にするが、その際彼の採用した小説と列伝の合体形式は、明治維新の立役者も人間なら、暗澹たる二次大戦への火蓋を切ったのもこれまた人間でだったというような結果に落ち着ざるをえない。
しかし常識的に考えて、二次大戦の罪が単に個人や一集団かぶされるものではないことわれわれは知っているのだ。つまり、司馬遼太郎、その人の列伝的小説は、幕末明治の功を礼賛する際に個人の英雄視しすることに有効だったが、先の戦争の失策を糾弾することにおいて、「極悪人」を仕立てることに躊躇せざるをえず、その方法論の馬脚をあらわした。
仮に司馬遼がたんなる時代小説家であったなら、私も彼をしつこく追いまわすような真似はしない。周知のように司馬遼は「国民作家」として君臨した時期をようしており、この「国民作家」たる司馬遼太郎の影響力が私の当面の関心ごとにほかならない。だから、私は司馬遼太郎を見定めるのに、司馬遼のとった列伝の方式を採用するつもりはない。ではいかなる歴史記述方式があるだろうか。

竹内洋丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム」で扱われる「丸山眞男」とは極端にいえば人間、丸山眞男ではない。丸山眞男をという体験をさすようだ。
竹内は『世界』の1946年5月号に掲載された「超国家主義と論理と心理」から受けた幾人かの印象をの叙述を引用紹介している。以下政治評論家の藤原弘達場合はこんな感じ。167ページより引用。

東大の後輩から、丸山の論文が大変な評判なっている。「これを読まないとこれからの世の中はわからんぜ」といわれ、刊行後半年ほどたった同年の終わりころ読むことになる。一読して
「全身がしびれたような」衝撃をうける。雑誌すぐ返さなければならないので、徹夜して全部ノートに書き写す。

歴史家の萩原延寿はこの論文を読んだのは、旧制第三高校三年のときで、その萩原は衝撃を

「目のから鱗が落ちるという言葉どおりの」もので、八月一五日以後も残存していた「大日本帝国の精神」が、音を立てて崩れはじめ、「私たちにとっての精神的な『戦後』が始まった」(「戦後日本を創った代表論文 解説」『戦後の出発点』『中央公論』一九六四年一〇月号)と書いている。

(168ページより).

のちに、編集者として丸山と接触し、広い意味での丸山学派になる橋川文三も次のようにいっている。「ショッキングだったね。「中略」学問というものの僕の知らなかった新しいイメージ、それが昭和二十一念だか二年ごろの灼熱的で流動的な状況の中で、本当に初めての思想としてぼくなんかをとらえたわけだ。「中略」混沌を照らすことによってかえって混沌を生彩あらしめるような人間精神の意味というようなこと、それを僕は感じたわけだ」「(戦争と同時代」『談』 二)。

(169ページより).

「しびれた」、「鱗が落ちた」、「ショッキングだった」という彼がの言葉はまさに丸山を「体験」の衝撃の口吻をつたえるものである。
竹内洋丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム」における、丸山眞男とは人に違いないが、それを人でなく、先行する知識人のモデルととらえ、彼の戦前のトラウマとその思想形成への影響を背景に、戦後のインテリが大衆化していく過程で、<丸山眞男なる現象>が、その受け取られ方がどのように推移したかをたどるココロミだ。そこから浮上するのは丸山でなく時代の節目節目の大衆インテリの容貌である。
面白い!



丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム
4121018206竹内 洋

中央公論新社 2005-11
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