○「ALWAYS 三丁目の夕日」について書き忘れたこと


昨日は「夕日」の胸糞悪い点について書き散らしたため、よいところを書き落としてしまったので、補足的に。
東京メトロ有楽町線江戸川橋駅トーハンの方角に向かって歩むとき、右の筋道を入ってくいくと地蔵通り商店街にあたる。
よそから入ってきたような大きなスーパーはなく、土地の果物屋が発展した形の食料スーパーや文具店、おもちゃ屋や怪しげな張り紙のある薬局、干物も扱う魚屋、食堂などが軒を連ねる。
「夕日」で、茶川(吉岡秀隆)が淳之助を追いかけ、横丁から大通りに飛び出すシーンをを観たとき、私は文京区水道の地蔵通り商店を思い出した。また、小雪演じるヒロミの店もある飲み屋坂の風景は神楽坂を東京理科大側に折れた界隈とかなり似ている。
「夕日」の昭和な町と山の手線内の町の似た印象は、たぶん建物の腰高な様子に起因すると思う。東京に限らず、日本本土の町並みは「腰高」に感じる。「腰高」というのは、私の郷里沖縄を直撃するような台風がそのままの勢いで暴れまわるなら、たちどころに倒壊するような、突風に対してたいがい無防備な建物の上背の意味である。
恋に恋するという表現があるが、懐かしいという気分もまたそれに似たものではないか。
「ALWAYS 三丁目の夕日」はその意味で観客を懐かしさの昭和にいざなってくれる。その昭和はいったい本当にあった場所なのか。
「夕日」の町並は今あるそれと骨格において、そう大して変らない。
「今を懐かしがる」というのは、はあまり健康的な傾向とはいえない。