関川夏央「白樺たちの大正」読み中 その1
(文春文庫 ISBN:4167519119)


ブームとは、元来出来事や物、あるいは思想などが世の中を席巻する様をさす。また世評価でなく、個人的な趣味で対象に入れあげた内面的盛り上がりは俗に「マイブーム」という。
もっか私のマイブームというか、マイ疑問はズバリ「芸術とはなにか?」というもの。
明治日本にとって、富国強兵は全国民的な目標だった。国民は国を富ませるため西洋の思想概念をどしどし輸入した。「芸術」という考えもまたそうした輸入した産物のひとつだったと認識する。これはマイ疑問へのマイ回答でもある。
将棋の駒はそれぞれ違う進みかたをする。それは将棋というゲーム内での了解事項であるから、「飛車」がどうして斜めに進めないのかという問いは、将棋ゲーム内では封じられる。それ前提でないと将棋を指すことは困難になるからだ。
それと同様に近代日本以降という立場から、芸術とは?という問いたては無効だ。つまり「芸術」という概念は近代日本という盤上に並べられた駒のひとつと考える。
有島武郎は、芸術家のタイプ三つにわけた。それはつまり、三種類の「芸術」があるということだと思う。
「白樺たちの大正」、343ページより引用。

第一は「生活全部が純粋な芸術境に没入している人」で、そいいう人は周囲の生活と自分にどれほど間隔があろうが気にしない。第二は、芸術と自分の現在の実生活との間に思いをさまよわせずにはいられない人であり、第三は。自分の芸術を実生活の便宜に用いるような人である。第一のタイプはもっともうやまうべきで、たとえば泉鏡花がそのひとりだが、第二のタイプはいわゆる素人芸術家。第三のタイプは大道芸人とえらぶところがない。

ちなみに有島は自身を第二のタイプと自己分類したようだ。それにしても彼の悪戦苦闘ぶりから、「芸術」がもはや輸入品といえないくらい、大昔から日本あったかのごとく根付いているようにみえる。当人とっては大問題だったはずだが、「芸術」=輸入品として眺めるなら有島の誠実はやや滑稽な感がないわけでもない。
ところで、元来絵や工芸のたぐいは洋の東西をとわず、専制的な権力者の庇護のうちになったものだった。産業革命以降、権力は資本家になびき、絵師や工匠も主を変えた。やがて印刷、写真、録音などの複製技術の発達は商品経済と結びつき、安価な作品を可能した。安価になった作品の作り手たちは、まったく新しい庇護者を出会った。それが、小さな資本家ともいうべき<大衆>だと思う。
上にみるような有島の悶々ぶりは、それ以前みなかった経済勢力の出現と、その内部格差によって起こされた。つまり、有島は「芸術」がその格差是正に有効な力をもっていると確信していた。
武者小路実篤の「新しき村」、柳宗悦の「民芸」など大正期に花開いた「芸術」は芸術であると同時に社会改善運動でもあった。不思議な感じがする。