○最近読んでる本


酒見賢一「周公旦」
ISBN:4167656566

私のいなか沖縄では今日でも盆に、ウチカビと呼ばれるあの世の紙幣を炊き、先祖を送る風習がある。ウチカビは板チリ紙半分ほどの大きさで、褐色で模様というほどでもない模様が刻印されていたと記憶する。
http://ryukyu-lang.lib.u-ryukyu.ac.jp/srnh/details.php?ID=SN50233
おそらく、福建あたりから伝わった習わしだと思う。
ウチカビを炊く役割は爺さんの役目だった。かまどの神様が云々といって私の家の台所にお神酒の泡盛をそなえ祈るなど普段そういうことに熱心なのは婆さんの方だったので、爺さんが執り行う盆のウチカビを炊きという行事の非日常な感じが子供の私にも感ぜられた。普段ボクシングや相撲をテレビ観戦してばかりいる爺さんがこのときばかりは別人に思えた。

酒見賢一は中華の歴史を舞台にしたファンタジー小説作家と一般に理解されている。
この一般理解を私風に解釈すれば、酒見の目指しているのは大風呂敷を広げること、となる。
ゆえに、私は彼が彼の目的に沿う史実やそうればかりか稗史、伝説の類を総動員することに文句はないし、また大風呂敷ににそぐわない史実はあっさりと無視することも何も不都合はないと考える。
別の言い方をすれば、彼に対する評価は史実云々の詮索でなく、描いた奇想の馬鹿馬鹿しさによってなされると思う。
周公旦は周の武王の弟、武王亡き後、その息子の成王を補佐し摂政として国の基礎固めに渾身した人。
周公旦は礼をよく知っていたらしい。礼というのはマナーであるが、いわゆるテーブルマナーのことではない。天(神)に対するマナーをさすようだ。
祭政一致が普通であった古代において、神との対話、礼はすなわち政治だった。つまり周公旦はマスター・オブ・セレモニーとして国政にたづさわった。
むろん、私の爺さんがウチカビを炊くのと周公旦が誣告するのとはわけが違う。爺さんはこの世の一族を代表し先祖への礼を執り行ったが、周公旦は国を代表し、その安定を願い天を祀った。
たぶん殷周革命以前の部族国家規模なら、セレモニーはそれまでの慣わしのままでよかったかもしれない。別の言い方をすれば、周という新しい国にふさわしい礼を周公旦は手探り考える任にあったということだろうし、祖先だけでなく天もろとも祀るというアイディアはなんとなく腑に落ちる。
しかし、こうした「礼」の定義は酒見の周到の前振りに他ならない。後半部分の南蛮の地、楚のくにへの周公旦の出奔は冒険譚の趣がある。その冒険は血沸き肉踊るといったスリルとサスペンスや斬った張ったでなく、「礼」をめぐるフィールドワークの様相を呈している。
上に礼とは、神や先祖に対するマナーといったが、それはそれを信奉する者たちの<野生の思考>を意味するようだ。周公旦はその秘密を知っているものと酒見はとらえた。
周公旦に中沢新一二重写しに見えるのは実に奇妙で面白い。




志賀直哉小僧の神様・城の崎にて」
新潮文庫 ISBN:4101030057


先日友人と片岡義男の話題で盛り上がった。
義男小説は本来はコントと呼ばれる形式のものだと思う。けれど、コントといえば本邦では演芸の寸劇をという了解があるため、彼のコントは仕方なく小説と呼ばれると思っている。
その作法は、おそらく義男は自分の脳によぎった妄想の一場面や雑誌グラビアや町で見かけた気に入ったポスター写真の前後ににお話をつけるという方法でつづられていると私はにらんでいる。
また、彼は作中人物の行動と会話こそがお話を推進する胆力であると信じている節がある。とりわけその会話は近代日本文学のなかで異彩を放っている。
たとえば、作中人物はびっくりした際に「私はおどろきました」といい、あるいは男女の会話で、男がバナナを食べていると、女は「バナナ、おいいし?」と聞き、男は「バナナは大変おいしい」と応えるといった按配のあっけらかんさがある(だいたいこの後、女は笑う)。
関川夏央が指摘したように、義男文体の特徴は全体写生文であるが、彼が写生しているの対象はこの世のものでなく、彼の脳内の、妄想の男女の日常でであることは留意しなければならない。
作中会話が禅問答めく、あるいは空転気味なのは義男が日常、そこここで交わされる会話を観察し、会話というものの本質がそういうものだという結論の反映に他ならない。その意味で彼の写生文はゆがみが生じている。当人も写生第一義としているもしれないが、実は印派の質(たち)がある。よくよく観察すると、彼は対話と会話を明確に書き分けるとスタンスをとっていることがわかる。

風変わりな男というか、要するに義男は頭のなかが変態なのだという結論に私と私の友人は至り、お互い笑った。
義男の頭の中が変態というのは、角川の赤い背表紙の文庫にパッケージされたあの片岡作品群の、場人物の内面を書かないというスタイルは、近代日本文学の流儀からほぼ完璧に外れているということを意味する。私や友人が義男を愛してやまないのは、潔いまでのこの外れっぷりのせいだと思う。
昨日友人との会話を反芻しつつ電車でゆられていたら、ふと志賀直哉の好々爺風の顔が頭に浮かび、志賀直哉=ハードボイルド説がひらめいた。むろんこの説の背後には私の野心があった。片岡義男を「小説の神様志賀直哉に接続できるかもしれないという野心が。
ブックオフで「小僧の神様・城の崎にて」探し読んでみて、違った。ハードボイルドではなかったということでなく、志賀の簡潔文体と義男スタイルはまったくの別物だった。志賀は自分の意図を読者に伝えることに大変長けているために、ああいう風な文体になったと思った。一方義男は読者への配慮が皆無なため、文章がいくら写生的でも多様な意味を帯びてしまい、日常での一風景であるはずの、作中場面はアナザーワールドに変化している。それが味なのだが。