○増井経夫「大清帝国
講談社学術文庫 IISBN:4061595261

もっか私の胸中はちょっとした清国ブームが巻き起こっている。ブーム到来の直接な引き金は先日評も書いた加藤徹西太后―大清帝国最後の光芒 」(ISBN:4121018125)。日本でいう幕末から明治維新の同時代を生きた婆さんの生きっぷり、その背景に浮かび上がる清の国としてのありようと、そこから派生的に生成された文化や制度、思想に脳天くらくらした。
簡単にいうと、清国は近代から「明後日の方向」に歩んでいた。それは明治維新の歴史理解から見ると大変悲惨に映る。また今日の中国共産党的にも屈辱的な過去であると思っているようだ。けれども、そういう具合に屈辱だ!の西太后のオバはんのアホ、ボケ、カス、売国奴ーと罵倒するだけでは片付かない、途方もない「明後日の方角」の軌跡が残した出来事の数々はなんだからよくわからないがきわめて重要な魅力的なガラクタのように感じるのだ。
というわけで、増井の「大清帝国」を手に取った。その序文(15ページ)より引用。

近代の史学が社会の発展を主要な課題として成立し、社会の矛盾を歴史的解釈の主要な鍵とする方に発展したため、十七、十八、十九世紀あたりの歴史は、中国ばかりでなく、日本もインドもも多くの文化遺産を残しているにもかかわらず、時代の意義はあまり高く評価されなくなった。さらににさかのぼって、中国の唐栄や日本の天平鎌倉の時代を考えるばあい、社会の発展といった問題とは別に、その文化だけ、大きな意義を認めようとするのに比べると、これは大変な片手落ちのように思われる。一口でいえば、十七、十八、十九世紀のアジアは、時間的には近世であるが、性格的には反近代だだったというのである。

すべての書き物もそうであるが、歴史の叙述もまた書く上でのテーマがないとぐずぐずになってしまう。で、そのテーマを近代への邁進過程ととらえる歴史の眺めかたが、構造主義方やポストコロニアル側からの批判があるにしても結構根強かったりする。
たとえば、国民作家とよばれた「この国の作家」、司馬遼太郎も十七、十八、十九世紀のアジアの歴史は性格的には反近代的であったというし進歩史観からまったく自由であったといえば、大変な疑問である。
「この国のかたち」に見られる悶々ぶりは読者の獲得という意味では成功者であったが、その作品にこめたメッセージ性において惨敗者で、それゆえの弁明と反省のチャンプルーのように私には思える。
また、司馬遼自身がそのように「この国のかたち」にこめた曖昧なゴメンナサイに呼応することなく、司馬遼ブーム以降の日本の郷土史研究は、どうしようもないほど司馬遼視線に束縛されている始末なのだ。端的にいえば、上記引用の片手落ちの近世評価が大衆化し、居酒屋は日夜満開の、プチ司馬遼太郎の自説の花でにぎわっている。
歴史大好きっ子を任じてやまない私としては、かかる状況を大変ツマラナイ。ので、歴史のなかの大国清の沿岸に妄想領事館をこしらえ、そこを拠点にアジアの近世の眺めてみようと思う。増井の「大清帝国」をいわば「地球の歩き方清国」として。



大清帝国
4061595261増井 経夫

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