中沢新一「僕の叔父さん 網野善彦
集英社新書 ISBN:4087202690

「僕の叔父さん 網野善彦」は、去年の2月27日になくなった歴史学者網野善彦の追悼的エッセー。
中沢にとって叔父にあたる網野が、悪党や漂白の民に着目し、新たなな日本史の視座、可能性を切り開いた歴史学者網野善彦にいたる経緯を自分も含めた中沢家と網野の交流のなか探すというあんばいで書かれている。内容上、中沢新一という風変わりな学者の「私の履歴書」の側面も持つ。

唐突だが、中沢の祖父、中沢毅一の論文「我国体の生物学的基礎」の英訳文を132ページより部分引用。

Let me emphatically repeat here that the spirit of Japan is maintained because there are people who maintain it ; it is not
the so-called transcendental spirit which simply hovers over this ours.

さらに上記引用文に対応する「我が国体の生物的基礎」の原文を131ページより引用。

私は繰り返して言う。我が日本精神はこれを維持する国民があるから維持継続するので、超然としてこの国土に漂う超然たる神霊ではないのである。

となる。中沢は歴史にまるっきり無知な現代の大学生なら以下のようになるだろうとかんぐる。というか、当時の彼はそのように読んだということだろう。
133ページより部分引用。

私は繰り返し強調したい。日本の霊性はそれを維持しようという人民がいるから維持されるのであって、私たちの国土の上をさまよっているだけの超越的な霊性などない。

ちなみに「我国体の生物的基礎」(The Biological Basis of Our Country's Existaence)は、文章中の「国体」の訳は、Country’sBeimgが当てられている。
ここで中沢新一が言いたいのは、毅一の書いた論文の日本語原文と英文訳の間には、奇妙な齟齬があるということ。
中沢新一的な結論で言えば、たをやめぶりなふわふは霊性を見定めながらおっちょこちょいにもますらをぶりな日本精神(=大和魂=国体)と書いてしまったことで、文全体が田中智学的な八紘一宇な磁場に絡め捕られてしまった、というところだろう。

では、網野的にはどうだったか。138ページより引用。

天皇がそのCountry’sBeimgという土に根を下ろすやり方が、またじつに独特だったんですよ。天皇はいろんな顔を持ってますからね。律令制を支える官僚組織のトップに立っているのも天皇ですし、穀物霊をお祀りする神主のトップに立つのも天皇です。とくに日本は稲束の数で租税を徴収していましたから、その稲の霊を祀る最高の宗教者という資格で、日本全国を支配する存在であることを。アピールできちゃったちちゅうわけです。その場合のCountrと言ったら、これは水田の国、岩穂もたわわの瑞穂の国、という意味をもつことになるでしょうね。」

中沢も網野も見据えているものはそれほど違わないが、その思考アプローチがぜんぜん違う点が面白い。
実証的でない云々をいうより、とりあえずその線に乗ってみる、聞き耳を立てるという柔軟な姿勢が網野の歴史学のバックボーンなのかもしれない。
あと、久々に中沢の著作を読んで、その写真や図版の選定に独特なセンスをあるに懐かしく思った。


僕の叔父さん 網野善彦
4087202690中沢 新一

集英社 2004-11
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