奥泉光 「『吾輩は猫である』殺人事件」読了

(新潮文庫 ISBN:4101284210)

私の近所の煙草屋は猫を飼っている。
四辻の角にその煙草屋は煙草屋という構えであり、そのショーケースの上、つまり代金の受け渡しをカウンターで猫は寝そべっている姿をしばしば目撃する。
先日私が煙草購入の際、彼女(たぶんメス猫なんだ)がそうした寝そべりのポーズだったので、後ろ足の腿のところを突っついて挨拶した。すると彼女は自販機の裏にもぐりこみ、顔のみで出して体を防御し、ニャーとないた。
どうやら、「あたしに気安く触れないでよ」の意味らしい。

我々人間は家に住む。住環境は人の営みの根本であり、寝る、食う、排泄、愛の営みなどの基本的行為は家屋のうちにする。ゆえに我々は古えより野山を切り開き、道をならし、家々を建て、集落を築いてきた。飼い猫という動物の生活圏もまたこの人間のこしらえた環境にある。これら猫の注目に値する点は、人間サイドはそれを意図してない屋根屋根や塀などをを彼らは道と解釈していることにある。人間のこしらえた生活インフラもまた彼らにとっては自然の変形に過ぎないといえるだろう。


吾輩は猫である』は、我輩猫の目を通した人間社会批評が味の小説だが、我輩猫は観察しているだけでなく、苦沙弥先生とその友人らの話をのうちから当時の流行的人知を吸収もしている。門前の小僧ならぬ、教師の家の猫ということだ。
つまり、我輩猫は猫として通常に屋根や塀を闊歩するだけでなく、人文的知識へもアクセスする輩であったということだ。その意味において、主人の家に集う書生連中と彼は同列のである。というか、当猫はそのつもりなのだ。
「『吾輩は猫である』殺人事件」は、単に猫が語るから続編なのではなく、猫にして書生である我輩の一人称に意図的に踏襲したがゆえに続編になる。
伯爵(フランス)、将軍(ドイツ)、虎(上海)、ホームズとワトソン(ともにイギリス)の世界都市上海で知り合った各国の猫たちは、これまたそのお国柄の人物のカリカルチャーとして描かれている。つまり彼らの薀蓄は人のそれと変われない。逆にいえば、彼らは猫の領分を忘れてしまっている。
猫の領分とは何か?
曽呂崎に端を発し、寒月が受け継いだ研究とは彼ら猫どもに猫の領分、彼らのなかに眠る内なる猫を思い起こさせれ働きがあるわけだ。
SFというより奇想小説。
嗚呼猫よ、永遠なれ。



『吾輩は猫である』殺人事件
4101284210奥泉 光

新潮社 1999-03
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