奥泉光「坊ちゃん忍者幕末見聞録」読了
(中公文庫 ISBN:4122044294)


漱石の「坊ちゃん」の一人称語りを模した幕末京都の見聞録。
語る「おれ」は松吉。出羽国庄内平野に住む。養父は霞流の忍者で、松吉もその手ほどきをうけている。
霞流忍術とは大自然のなかで暮らす術のようで、漫画や山風の忍術ほどの凄みは微塵もない。
だから松吉も忍術は生活の術であるが、生計の足しにならないと踏んでおり、漠然と医者になりたいと思っている。
江戸に行けるチャンスがめぐってくるが、連れの寅太郎は攘夷思想にかぶれており、江戸でなく京都に出でしまう。現状に不満を抱き、政治的な野心がある者にとって当時の京都はその最前線であるはずだが、「おれ」こと松吉にとっては、新撰組薩長、水戸浪士が跋扈する物騒なところにすぎない。
司馬遼は、大坂の商人の打算をもって倒幕・佐幕のイデオロギーを相対化を盛んにやったが、「坊ちゃん忍者〜」では、攘夷思想にかぶれた友人寅太郎との腐れ縁ゆえにたまたま京にまぎれこんだ「おれ」の視点が当時の京の政治闘争を相対化している。「おれ」からすれば、商人や医者も十分に政治的な活動にまい進しているのだ。
後半あたりから時間軸に変調のある描写があるが、あれは一人称という語りの自在さと頼りなさを示しているととるべきか。いや、一人称で語ることの率直さに隠された虚構こそ、霞流忍術の極意なのかもしれない。


坊ちゃん忍者幕末見聞録
4122044294奥泉 光

中央公論新社 2004-10
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