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○時の行者、あるいは登山部を軽蔑するロマンチシズム
「司馬遼太郎が考えたこと 1」(新潮文庫 ISBN:4101152438)収録の「無銭旅行」冒頭を引用(244ページ)。
学生時代、私の学校にも名ばかりの登山部があった。部屋の前を通るたびに、ひどく軽蔑をおぼえたものである。なんだってあんな高い山にばかり登りたがるのだろう。私はそのころ、卒業すればゴビ砂漠へ育行くことばかり考えていた。
私が好きな司馬遼は、戦国武将や幕末の志士の余話エピソードを巧みに語る司馬遼ではなく、高い山に登りたがる登山部を軽蔑するような、多少屈折した福田定一の部分。
日本アルプスは絵はがきを見るのも嫌いと別のエッセーで書いてあったから、登山部好みがよっぽど気に喰わないようだ。
私なりの推測では、学生時代の福田青年は、当時の登山部の判でおしたような「高い山信仰」に自律的なものでなく、何かに登らされていると直感したのではないかと思う。当てずっぽうでいうと、当時の学生にとって、登山は目新しいレジャーでなかったろうか。
司馬遼と福田定一には齟齬がある。
しかし、上にのべた意味において、福田青年の興味は司馬遼的な感受性と通底するものがある。だから彼がゴビ砂漠へ行きたいと呟くとき、それはゴビ砂漠でちょっとした遭難を体験したり、現地の人々と心温まる交流したいという類の「うるるん」風な旅情とは全く違っていたと考えるのだ。
周知の通り、司馬遼が目前の風景を気に留めず、ひたすらその地の過去を振り返る仕草は「街道をゆく」においては十八番(オハコ)である。つまり司馬遼にとって旅とは、空間的ではなく時間をさかのぼる道程であったのだ。
後年司馬遼が毒づかなくなったのは、彼の旅流儀が登山部ではなく、歴史同好会において普及したためもあるだろう。また、この司馬遼風旅情の普及が反面司馬遼の独特さを見えにくくしてしまっているようにも思う。
くだんの登山部への軽蔑心は、司馬遼の風変わりな旅認識と独特なロマンシズムが屈折した形で表れたその一例だ。
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