高島俊男と日本語

高島俊男は「お言葉ですが・・」という週刊文春連載の人気コラムの人。
本業は中国文学の先生。
中国についての豊富な知識に自身の見解を加味した平易な語り口は抜群。並の学者余芸でない。
その卓抜した語りの才は、「三国志きらめく群像」、「本と中国と日本人と」、「中国の大盗賊・完全版」などの教養読み物本で真価を発揮している。
「漢字と日本人」(ISBN:4166601989)はいささかクドイが、漢字に着目した秀逸な日本語論。
日本が中国から漢字を輸入したことは、はたして日本語にとって幸運だったかと問い立て、実は不幸だったと説いている。
本書24ページより引用。

なぜ不幸であったか。
第一に、日本語の発達がとまってしまった。
当時の日本語はまだ幼稚な段階にあった。たとえば、具体的なものをさすことばはあったが、抽象的なものをさすことばはまだほとんどなかった。個別のものをさすことばはあったが、概括することばがなかった。
(中略)
あるいは目に見える「そら」はある。しかし万物を主催し、運行せしめ、個人と集団の命運をさだめる抽象的な「天」はない。
(中略)
 高度な概念をあらわす漢語は。かならずしも人類普遍のものではない、かならずしも日本人の生活や思想(ものの考えかた)、感情、気分に適合したのではない。

高島は、バスク語に「帽子をかぶった人といっしょに」という単語があると紹介している。
バスク人とは、スペインとフランスの境界に住む人々だが、その言葉はスペイン語にもフランス語にも似ていないとのこと。だから「帽子をかぶった人といっしょに」に何かをすることが、バスク人の生活や思想に深く関わわることなんだろう。バスク人でない私には、バスク人の帽子や帽子をかぶった人への思い入れを想像することがエラく難しい。
多少素っ頓狂に聞こえるかもしれないが、要するに、漢字を導入しなかったもう一つの日本語を想起せよと高島は暗にいっているんだと思う。
だから高島俊男宣長に共感を寄せるのは当然のことだ。
本居宣長とは、たぶん漢字を導入しなかった日本語を想起し、日本語で考えようと試みた人なのだ。
いま私がこうしてパソコンで文字を綴る場合にも漢字がどんどん混じってくる。それは今現在ある日本語が中国から抽象概念ごと輸入してしまった日本語であるからだ。
宣長はそれをイヤだと言った人だった。
イヤと言ったときの宣長の脳裏に閃いたイメージを同様にイメージすることは、私には出来ない。けれどもそのとき宣長が日本語で思想を開始したのであろうことは想像つくし、想像して私自身のこれまでの日本語人生に呆然としてしまう。
片岡義男に「日本語の外へ」というエッセーがある。
猛烈なグローバル化の嵐が吹き荒ぶ現状とそれに立ち向かうためには、いささか心許ない日本語的な日本のいま現在を冷静に観察した後期片岡義男の代表的著作だが、やはり片岡義男なので提言めいたものは薄い。
「漢字と日本人」は、日本語の内部にこそ<外>があることを示唆している。
余談だが、私は通勤時に本を開いたトコから読む主義であるが、主義に拘泥したため筆者の意図をくむのに大変時間がかかった。
ふつうに前から後ろに読むと吉。

漢字と日本人
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