堀江社長は既存のマスコミによる情報のフィルタリングを「価値観の押しつけ」と称しているけど・・・・
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050215#egawa

考えてみれば先例があった。情報誌のぴあと東京ウォーカーの戦い。ぴあはすべての情報を提示することに命をかけたが、情報のフィルタリングをした東京ウォーカーの前に負けていった。情報がたくさん提示してあって、そこから受け手は面白いものを自動的に拾い上げてくれるだろうというのは受け手の能力に期待し過ぎだ。

その先例の引き方、フィルタリングじゃないか?
筆頭株主騒動前、フジテレビは堀江社長を番組のゲストなどで起用してきた。けれど、騒動後、「今後番組へ起用を見合わせる」方針らしい。
言ってみれば、フジは、堀江社長の経営手腕に予感めいたものを感じたがゆえに彼をで追っかけたのではなく、彼のイケイケな経営スタイルやずんぐりしたルックスや青年起業家らしい小賢しいコメントの諸々が、テレビ的に「おいしい」、視聴率稼ぎになると算段したがゆえに、彼を露出させたのだ。で、そうしたフジのそろばん主導の番組作りの姿勢は、ぜんぜん堀江社長の描くメディア戦略の青写真と根本の部分では変わらないように思う。パッパラパーだ。
とどのつまり、既存メディアが主でネットが従のこれまでの日本のメディア構造のまま走るのか、それともネットが主で既存メディアが従に編成し直すかってことだろう。
フジは多少目立つが余所の民放とその系列ラジオ局、新聞社もそれと似たり寄ったりだろう。なんせ、記者クラブ制度でふんぞり返っているだけなのだから。
締めに俺もフィルタリングで例を引こう。
モー娘も単なる素人だった。