○小泉 尭史監督・黒澤 明脚本「雨上がる」

フラットライナーズ」は、私好みの映画を説明するのに恰好な映画のひとつだ。臨死体験をモチーフしたものなので、笑える映画ではない。しかしこれはコメディーだ。サイコホラーコメディー。丹波哲郎の「大霊界」もこの部類に入る。
バカみたいな大風呂敷でなく身の丈のイリュージョンを描いて観せる作品がある。
また、こうしたテイストの映画は、往々にして「佳作」と呼ばれたり、「B級」と喜ばれたりする運命にある。「フラット〜」は「B級」の方だった。

「雨上がる」は、「佳作」呼ばれる運命にあると思う。逆に言えば、映画評論家のその資質や生活態度を評価する上で、「雨上がる」は格好の指標となるだろう。むろん「佳作」という奴らうすらトンカチということだ。
まず、殿様(三船史郎)が素晴らしい。殿様は道化役であり、ナレーターでもある。殿様をこうした浮いた役割を担わせ、馬鹿でかい声で話すキャラクターを付与したことが、「雨上が上がる」の快挙だ。
育ちの良さから生まれる天真爛漫さ。快活で聡明な殿様のイメージは、殿様とその領地をある種のファンタジックな空間にしている。
浪人(寺尾聡)とその妻(宮崎美子)の浪人夫婦は、道中の途中にある。雨で橋のかからない川の水かさがまし、足止めを食らい、安宿で逗留する。
やがて雨は上がる。晴天は吉兆を予感させている。具体的には、藩の剣術指南役として寺尾の働き口が決まりそうだ、ということ。
寺尾の興奮気味に妻に今度こそ仕官がかないそうだ、良い殿様だ、と語る演技は印象的。
印象的というのは、喜びの表明して役者の技量云々という意味ではない。映画全体における「流れ」のなかで、大変効果的な調子を作っているという意味で寺尾の喜び表現は素晴らしい。
後半、意気消沈し、不機嫌な演技をする寺尾が出てくるが、それも喜び表現が事前にあってこそ活きるものだ。
前述したように殿様は殿様然とした態度と道化役をかねている。映画の最後半に彼は馬で爆走するのだが、大変力強い爆走であるがゆえにおかしい。
「調子の映画」。「雨上がる」を一言でいうならそういうことになる。殿様と寺尾が全体を整えたりアクセントを加えたりする役割を担い、宮崎美子が啖呵を切る。後は馬が爆走するわけだ。日本語を知らないガイジンの気持ちで観ると吉かもしれない。