山口瞳ブーム
山口瞳の人生作法」購入
新潮文庫 ISBN:4101111359

新潮文庫で謎のブームが勃発している。いわゆる山口瞳ブームがそれで、「血族」も「人殺し」も絶版のまま「礼儀作法入門」や「「男性自身」傑作選」などを矢継ぎ早に刊行している。
新潮文庫ファンの目には、こうした明後日の方向的かつ淡泊な収録方針がハイカラに映るのかもしれない。私も新潮文庫を愛することでは人後に落ちないつもりでいるが、冷静に考えるとよくわからない収録方針にヤキモキを通り越し怒髪ぷんぷんというあんばいにある。ま、俺も大人だから顔にはださんが。
今月も新潮は、山口瞳文庫を出しくさった。「山口瞳の人生作法」がそれで、これは新潮の全集の月報や臨終間際の日記の抜粋など自身の文章も収めてはあるが、大半は山口の知人や夫人の氏の思い出ばなしと往年の写真で構成されいる。要するに新潮文庫山口瞳読本というオモムキ。
奥野建男と秋山駿の対談「戦中派のまなざし」は酒が多少はいっているのか(?)、氏の思い出を語りつつ、大らかに山口批評をしている。ま、今や奥野、秋山の両人も鬼籍に片足突っ込んでいるような妙齢であるから、この程度の舌禍なら文庫収録OKヨってな老人の居直りがイイ方向に転がっている。以下199ページより引用。

奥野 それで新聞に追悼文を書くときに、ちょっと批判的な意味を込めて「通人・山口瞳」と切ったんです。彼は通なんですよ。
関西では粋を粋人と言うけど、江戸は江戸の何大通といか言って通人と言うんだよね。

秋山 まあ、ちょっとそこがね。だから、『江分利満氏』が好きだった読者はちょっと距離ができたかな、と思うようになりまいたけどね。

出だしの頃は、時代風俗をクールに活写する平サラリーマンのアマチュア小説家だった山口もだんだんと歳を重ねるにつれ、作法というオブラートで小言をやんわりと言う部長のような文士然とした者にになってしまったな、という意味合いだろうな。
山口瞳という人は、はたきを正眼に構え、相手と斬り結ぼうと本気で考えるタイプだったと思う。「瞳サン、それはたきですヨ」ってリングサイドの声には全く耳を貸さないという態度だったと思う。仲間や身内は困った人だねって笑っていたが、世間的には板についてしまって、それを「作法」呼ぶに至ってのではないか。意地悪な見方だが、サラリーマンを辞して作家として立ったがサラリーマン的杓子定規は捨てず、それが取締役島耕作化してしまったのではないだろうか。江分利満氏の晩年はさほどかっこよくはない。