○棚とキーワード

サプリメント遁走 「まがじなりあ・あちらこちら 5 * きれぎれ文学考察 5」より引用。
http://d.hatena.ne.jp/breaststroking/20041012#p2

こういったライトノベルの格上げみたいな動きは、今年がピークなのだと思うけれど、どうにもキナ臭い。ライトノベルライトノベルでいいじゃないか。「ライトノベルはすごいんだ、ライトノベルで良いんだよ!」という業界のメッセージは、成熟の否定につながるんじゃないか。

ある程度本屋で働いていると、版元の版柄っていうのか、出版社のそれぞれのジャンルにおける立ち位置のようなものが見えてくる。で、そういうブランドっていうかレーベルみたいなもんと別にある種の「流行り」があることも分かってくる。
赤瀬川の「老人力」のヒットに刺激されたのか、名詞+力は、ビジネス書、英語一般書らアタリで一時期えらい勢いだった。斉藤孝先生も「コメント力」とか「インタビュー力」などと力志向があからさまだった。「県民性」、県民ごとの性格分析がなぜかどかどかと出たのは記憶に新しい。昨今だと人文系だと「感情労働」で、文芸書のコーナーでは「ライトノベル」キーワードが熱を帯びているようだ。
本を棚に収納することが仕事の一つである書店の棚担当者にとって、こうした流行りのキーワードにどう向き合っていくか問題っていうのがある。まったく無視すると、棚は潤いを失ったお肌のようなパサパサになってしまう。かといってあまり反映し過ぎるとバカみたいな棚が出来上がる(なんでバカみたいになるのか分からんが十中八九そうなる)。
常備も置かんといけないし、アノの版元はしょっちゅう回ってくるし、アレは平のとき売れたから棚で持っておきたいし、んで、コレはバカ毎日の書評に載りそうだし。。。といったあんばいで、葛藤に悶絶しながら棚から本を落とす。落とすと客に聞かれたりする。。。
上記したキーワードは流行らそうと思って流行ったものでなく、育ったものだ。
編集の立場であれば、そうしたキーワードこそが彼等にとって世の中を把握する「カギ」になるかもしれない。で、優秀な編集はきっと「名詞+力」のコンビネーションでも斉藤孝のようなグダグダにはならないハズ。
要するに、キーワードを十把一絡げにするのでなく、キーワードに対する編集者の意図を読むことが棚の潤いに繋がると思う。大変抽象的な結論で申し訳ないが、キーワードは気にしながら「やりすごしす」しかない。