宮台真司北田暁大 対談講演会、「空虚な時代のロマン主義」 の私なりのメモ補足


宮台はイスの硬さや空調、内装というアーキテクチャーによって、人は管理されていると指摘する。客を人間扱いすることなど、外食産業はとっくに止めてしまったのだ、ということのよう。一方、北田は、ファミレスのイスは硬く、エアコンは寒い、そういうものだとアキラメが肝心という。これは、かつて宮台が提唱した、「まったり革命」への共感の表明に聞こえる。宮台は自身がイス硬さや内装、空調に過敏というより、それらを直感的に感じる敏感な若者たちについて共鳴しているのだろう。宮台のこうした神懸り的な若者動向の察知能力には素直に脱帽する。宮台フレームのフィクションだと揶揄しても意味がない。というか、フィクションを敢えて処方箋として示すというのが宮台のスタンスなのだから(なんだか京極堂っぽい)。
ここで北田の問題提起、日本の人文的思想空間は何を語るかに重きをおき、どう語るかについて無頓着すぎはしなかったか?が俄然重要さを増してくる。以前にも言ったように、北田は、どう語るか問題について、宮台を実践的な先駆者と捉えているようだ。しかし、、北田は語り口については共感するがアジア主義には距離を置く。その危うさ、ウソがウソですまされなくなるマジ気分(「山椒魚戦争」の山椒魚的なもの)は、まいってみれば祭で楽しいかもしれない。けれど、戦後民主主義や左翼やフェミニズムを、半音上げて唄ってみるのもイガイといいもんじゃないか、北田はロマン主義とはそういうもののようだ。その能天気な語り口は悪くはない。



参照:昨日行った宮台真司北田暁大 対談講演会、「空虚な時代のロマン主義」 の私なりのメモ。
http://d.hatena.ne.jp/yasulog/20040725#p2