ソフィア・コッポラ監督「ロスト・イン・トランスレーション」観る

私の仕事は出版社の営業なんだけど、デザイナーとかエディターという人たちっていうのは、どうもノリ違う人種のように思う。まず私の田舎にはいないタイプだ。簡単にいうと好奇心旺盛で物怖じしないタイプ。ま、私も新しい者好きという点では彼らにひけをとらないが彼らと仕事で一緒にいると、己の生活信条に慎み深さというものがあったことを発見するような案配だ。
テレビやCMや音楽などのギョーカイもクリエイティブな職種の人たちはそんなタイプだと思う(最近のTBSや日テレはブラウン管越しにそうした意識が伝わってくるので鬱陶しいな)。ま、十把一絡げに言うのもなんだけど。

ロスト・イン・トランスレーション」の主人公は、ビル・マーレイ演じるアメリカの中年映画俳優ではなくて、彼と同じホテルに泊まっている女の方だ。彼女は、日本に仕事で来たカメラマンの旦那に同伴した嫁。旦那は西海岸の出身で、彼女はニューヨーク。大学では哲学を専攻したという設定。で、己のカメラマンの嫁で、いまはロスで暮らしている人生の展望を全く描けなくて困っている女の子いう風情は、まさに日本のギョーカイにいる女性が共感しうる痛さのよう思った。ソフィア・コッポラはそうした痛さ(=ガーリー趣味)をほどよい感じでスクリーンにちりばめる。その手際の良さは本人がかつてガーリーな女の子だった所以だろうか。東京風景をデジカメで撮るのは私の趣味の一つだが、ソフィア・コッポラ風というフィルタを試みたい。手始めに彼女のように傘を撮ろうか。

ロスト・イン・トランスレーション」は宣伝戦略としてお洒落ガーリー映画というフレコミのようだが、それは日本でのマーケティングとしては半分は正しいが、半分は間違っているように思う。本当にバカあたりを望むなら、オッサンを狙うべきじゃないだろうか。東京という異国の土地で、中年の映画俳優と東京に迷い込んだインテリ女の子の淡い恋のアバンチュールとして。むろん、ガーリー風味は理解されないだろうけど。
映画終了後、後ろのドアから退場指示および売店で「ロスト・イン・トランスレーション」のパンフレットやサントラなどの関連グッズを販売しているとの宣伝のアナウス。「ロスト・イン・トランスレーション」って、余計な情報は、ネオンや場内アナウスなどで氾濫しているが肝心要の情報へのアクセスは容易ではないというニッポンを嗤っているわけで、いささか興ざめ。ま。サントラは買った。