○柘植俊一著「反秀才論」
岩波現代文庫 ISBN:4006030150
昼頃出勤。通勤のともに子安宣邦の「 本居宣長」(ISBN:4006000588)を入れたつもりが、ポケットとのなかから出てきたのは「反秀才論」だった。読書の神の啓示を感じ再読。何遍読んでも爽快な本だ。「反秀才」というのは筆者の造語。秀才が頭の回転が「速」く、論理の構築に卓抜な才能を発揮するのに対し、反秀才は、論理よりも情熱によって世に貢献する、「頭が強い」タイプだと定義する。
「反秀才論」の爽快さは、秀才でない一般読者が、著者が英雄的に語る「反秀才」像に自己を投影する余地があるからだろう。反秀才は秀才よりも育成に時間がかかる大器晩成であると柘植は言っているから、私も含めた凡人も己の可能性をもう一度信じてみる気になるのかもしれない。ある意味努力論、根性論の焼き直しにようだが、柘植の語りっぷり良さが内容に迫力をつけ、実に楽しい。文章のズッコケ感もご愛嬌。以下268ページよりを引用。

天才が生まれる確率は万国共通の普遍数である、という私のドグマを認めていただきたいにしても、この日本の風土は「知識」
に対する天才が開花するには良い土壌ではないということは同意せざるを得ない。しかし、全人的超人を育てるのには、現代はともかく、過去の日本はすぐれた土壌をもっていた。西郷隆盛山岡鉄舟双葉山など比肩しうる人格的迫力をもった人物をつくり出すのには西欧社会はひらけすぎていた。
私の乏しい知識ではわずかにアメリカの第十六代大統領リンカーンだけがこのレベルの人であったように思われる。

双葉山リンカーンを同じ土俵で論ずる無茶苦茶と実直な筆者の人柄が行間から溢れている。あー愉快愉快。