○小汚いは、汚いより汚いのか汚くないのか?


「小」ってなんだ?
通勤の車中、ふとそんな疑問がよぎった。
「小」とは接頭語「小」のこと。「小洒落た」とか「小生意気」の「小」。
「役人」や「悪党」、「恥ずかしい」などにアタマに「小」をつけると、それぞれ「小役人」、「小悪党」、「小っ恥ずかしい」という具合になる。
なんとなくだが、接頭語「小」がつくと、下につづく言葉に微妙な台無し感がただよう。


「踊り」に「小」をつけ、「小踊り」。
一心不乱に踊るわけでなく、オチャラケた感じがする。


「寒い」に「小」をつけ、「小寒い」。
もはや気温のことではあるまい。フトコロの不如意を季節引っかけて表現するようなやや軽薄な感がある。


「馬鹿」に「小」をつけ、「小馬鹿」。
馬鹿野郎とは罵るが、小馬鹿野郎とは言わない。つまり、小馬鹿っていうのは罵り甲斐もない、とるに足りない半端な馬鹿っぽい。


「小言」というのもある。説教の意味だ。けど、説教の場合タメになりそうだが、小言は、お説ごもっともと聴いたふりして受け流されるイメージだ。ほとんど効き目がなさそう。
「小太り」も同様だ。小太りには威厳がない。威厳なく、ただ太った奴が小太りなのだ。ゆえに「恰幅がいい」という言い換えは小太りには適用されない。小太りはだらしない太りだ。半端な太りで、駄目な太りでしかない。

このように「小」をみていくと、「小」という接頭語は修飾することばを全否定するのでなく、微弱にするはたらきがあるようだ。そして、その効果によって微弱にされた言葉は、従来の意味から派生した比喩的ニュアンスを獲得し、諧謔の風味を帯びる傾向があると思う。
だから、小汚いはもはや「清潔」/「不潔」といった基準に属していない。小汚いは「小」によって、「キレイ」/「キタナイ」の岸から向こう岸へと跳躍したのだ。
向こう岸、それはむろん文学の岸、比喩の領域をさす。
「小」は修飾する言葉には迷惑かもしれないが、案外重要な役割を担っている。