柳宗悦「民藝四十年」読む
(岩波文庫 ISBN:4003316916)

民藝とは、柳によって提唱された芸術概念。民衆の工芸品の意。茶わんや染め物、織物など生活用品を一般に指す。
柳は、これに明確な定義与えなかった。むしろ定義を曖昧に留めることによって、作家・職工たちの自由な解釈を許した。ある意味アート・ムーブメントとしての民藝の大繁盛の一端は定義の自在性にあったと思う。
たしかに柳もそれらしいことを度々口にするがそれは定義というより、むしろ彼が想い描いた芸術の理想形だった。
柳は、当時上等とされた西洋美術に大不満だった。信仰心が芸術の母であることは洋の東西一緒だが、西洋芸術は時代が下るにつれ率直な祈り心を蔑ろにし自己表現を優先するようになった。柳の大不満はそれが原因で、傲慢に感じられた。
世界を傲慢に睥睨する意識を西洋美術に感じとった柳だが、この傲慢さは西洋文明の本質に根ざしており、コレハナオラナイと診断した。
ここで柳の思考は明後日の方向に飛躍する。西洋が不治の病傲慢の患者ならば、それにに成り代わり美術領域において、ニッボンは貢献できるだろうと算段した。ちなみに世界貢献は柳も属した白樺派たちの悲願的希求だった。
「民藝〜」収録「日本の眼」324ページより引用。

「無事」の美こそ、将来の文化に新しく寄与する内容があろう。西洋でも欠けているものを、充分充たす力があるからである。日本人は自主的にこの「眼」を大いに輝かすべきではないか。因にいう。渋いという如き、美への標準語をもっている国民は東洋のも他にはいない。この点で、支那も朝鮮も美の鑑賞には立ち遅れている。二つの先輩国の真の美の味識するのは。かえって日本人だと思えてならぬ。朝鮮美術を熱心に勉強し、これを尊敬したのは不思議にも朝鮮人でなく、実は日本人だった。これは「日本の眼」の働きなのである。

柳にとって、民藝というアート・ムーブメントは、日本人が美の追求もって国際貢献を果たそうという壮大な野望だった。
引用中の「無事」の美とは、作家があれこれ意図せずに表れた造形や線描の線描が発する美しさの意で、すでに書いたように柳は、作家の意図、主体性に重きを置きすぎる西洋美術はそのような偶発的美はとらえ損なうと考えたフシがある。
今私には当時の西洋アート・シーンが、作家の意図を超えた偶発的な出来事に美を見出えたかどうかは分からない。が、柳がいう西洋美術の欠点を日本が補完してやろう意気込がまったく的外れとも思わない。とはいうものの、やっぱり「支那も朝鮮も美の鑑賞には立ち遅れている」という意見はイタダケナイ。これには、支那や朝鮮よりも早く欧化・近代化を果たした日本のインテリが抱える悪い西洋かぶれが傲慢さが見え隠れしている。
だいたい西洋が美の概念において欠陥を抱えるていると判断するなら、率直に「君はいささか病的だ」と忠告するのが筋だろう。何ゆえ隣国の審美眼に難癖つけるのか。そのココロは、西洋になり代わり東洋の近代化の教鞭を振いたいという腰ぎんちゃく的な欲望でしかない。
柳の提唱する「日本の眼」は、存分欧化染まっていた。彼はそれに無自覚すぎた。


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参照:松岡正剛の千夜千冊,柳宗悦『民藝四十年』
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0427.html