加藤徹西太后
中公新書 ISBN:4121018125

中体西用とは清時代の近代化運動のコンセプト。本邦でいうところの和魂洋才のようなものだそうだ。
西洋的な技術や知識を導入し、国の近代化を図るという意味では和魂洋才も中体西用もおなじであるが、決定的に違う点があると加藤はいう。
184ページより引用

たとえば、日清戦争黄海海戦のとき、清の水兵がセーラー服を着て辮髪を垂らした姿だったことは、象徴的である。もちろん日本海軍には、セーラー服を着て丁髷を結っていた兵士は。一人もいなかった。両国の近代化は万事がこのとおり違っていた。

本書を読めば、西太后とは実に運のいい婆さんだったという印象を持つ。彼女の国家的な野心は自身の部屋を飾ったり、庭に池を掘るったり、盛大な誕生会をぶち上げるなど身辺的なことに限られていたようだ。彼女はある意味ガーリー趣味の極北だった。
だから、西太后を語る際に飛び出てくる「権謀術数」とか「老獪」というよう用語は、今日マスメディアで見かけるそれとはニュアンスが幾分ことなるように思う。彼女の政治的手腕はすべて「贅沢欲求」の噴射と政治制度と闘争として具現化する。べらぼうな放蕩は、国家を疲弊させると同時に、目の前の金に群がる欲望の回廊を形作った。肥大化し腐敗した官僚機構は一方で近代化を目指しつつ、西太后という前近代を大事に大事に抱えていた。つまり、西太后はゴージャスに散財するがゆえに権力の座にあるのであり、その意味において彼女は清の精神的な<辮髪>だったわけだ。
ところで、現在の中国政府の歴史見解では彼女は近代化を遅らせた大悪人というふうに書かれているらしい。けれど、それは彼女の本質でなく、彼女を怪物的に描いた虚像だと思う。すでに言ったように彼女はガーリー趣味のべらぼうな浪費家でしかなったのだ。
清の近代化を遅らせたの張本人は、そのべらぼうな浪費家の夢に付き合いつつ、自身の保身のみに関心がかなった巨大な官僚機構と体質であったとみるべきだろう。たしかに、彼女が贅沢欲望に執念できるほどの健康こそがその核ではあったかもしれないが。
だとすれば、明治維新の近代化の道をすんなり歩めたのは、西太后的システムを持たなかったゆえだったろう。それにしても、彼女の豪快な人生とそれに翻弄された国家の衰亡ををみるにつけ、本邦の奇跡的近代化がこじんまりとしてて実に陳腐に思えていささか残念な気分になる。



西太后―大清帝国最後の光芒
4121018125加藤 徹

中央公論新社 2005-09
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