○友人から、稲葉振一郎の「「資本」論」は、何を論じてるのか分からんという内容のメールを先日もらった。

こういう丸投げ気味にわかんと言われると正直ショックを受ける。分からんでも分かる振りをする。
といえば聞こえは悪いが、イケイケドンドン的に誤読を恐れぬ、80年代ニューアカかぶれの蛮勇が懐かしい。あの時代の合言葉は確かに「作者は死んだ」だった。
別の言い方をすれば、上記の友人は稲振の意図を理解して読むということが、「読む」という営みであると思っているフシがある。
むろん、意図に沿って読むことは学問的研鑽には有意義であるはずだが、廉価な教養新書としてかかれた「「資本」論」は、もっと自在に奔放に読まれて良いのではないだろうか(つづく)。