○「ことばのために」全5冊・別冊1
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関川夏央という人は、マンガの原作者だったり、北朝鮮の専門家だったり、けっしてバカ売れしないエッセーを綴ったりしている。なんでも屋なのか。イヤそうではない。関川節とは言わないもでも、著作には一貫した構えがある。別の言い方をすれば、どんな人と問われた場合説明がとても難しい人だ。
いしかわじゅん「ギョーカイの濃い人」(「秘密の手帖」改題)に、関川についての記述がある。うる覚えだが、底意地が悪いとあった。あと、つねに一定の距離を保っているのだそうだ。
いしかわの関川評はまるで猫みたいだ。
猫。関川はたしかに猫のように間合いを測りたたずむ人だ。
彼の仕事のひとつに司馬遼についての評伝がある。「司馬遼太郎の「かたち」?「この国のかたち」の十年」という著作があり、いま現在も「文學界」誌上で「『坂の上の雲』を 読む」という連載がある。
往年司馬遼は、自分は評論家ウケしない作家であると語っていた。その意味において、関川は司馬遼文学について語る希な一人といえるだろう。
そういえば、 「本よみの虫干し?日本の近代文学再読」 で関川は、近代日本文学が忘れている俳味の継承者とての片岡義男の名を挙げていた。あと、晩年の山田風太郎をインタビューした「戦中派天才老人・山田風太郎」がある。
こうして眺めたとき、関川の興味のかたちのひとつがみえてくる。それはいわゆる「サブカル」ですらない。「サブカル」ならきょうび饒舌に語られる対象のはず。つまり、語る対象から微妙に遠ざけられた大衆小説というジャンルとその作家こそ、関川の関心の射程といえるだろう。
加藤典洋「僕が批評家になったわけ」が「ことばのために」という企画の一冊であると知った。既に荒川洋治「詩のことば」、平田オリザ「演劇のことば」刊行されている。
今後の刊行予定は、高橋源一郎の「大人には分からない日本文学史」と関川の「おじさんはなぜ時代小説が好きか」。
たぶん、源一郎は昨今話題のライトノベルについて言及しているだろし、関川は司馬遼について語っているだろう。
余談だが、サイキン私は司馬遼から源一郎と読書行脚の途上にある。その意味で上記2冊は個人的には実にタイムリーだ。読書の縁の妙に感嘆し、読書の神に感謝を捧げたい。