猪瀬直樹「ペルソナ」読み中
(文春文庫 ISBN:4167431092)

三島由紀夫は父親も祖父も官僚だった。三島の祖父平岡定太郎は、「平民宰相」原敬に能吏として見いだされ、栄達を掴みかけた。
いつの世でもそうだが、政敵は、駆け引きの主導権を獲るために政策的失敗の追求だけでなく、世間の風を味方にゲスな糾弾を、容赦なく仕掛けてくる場合がある。以下66ページより引用。

大正二年二月に成立した第一次山本権兵衛の政友会内閣は、同三年三月にシーメンス疑獄によって瓦解した。ドイツ企業シーメンスが海軍無線電信所の建設の受注で日本の海軍高官に賄賂を贈り、その不正発覚がベルリンから外電によりなど、田中角栄ロッキード事件によく似た構造である。
 これによって、「守旧派」の第二次大隈重信内閣が出来た。この際、「普通の権力」を樹立を目指す実力者原敬を徹底的に追い詰めろ、ということになった。そこでターゲットされたが原の子分と目された平岡定太郎なのである。

スキャンダルは浮気に似ている。夫の背広の内ポケットから出てきた飲み屋のマッチは、やはりマッチでしかない。だから、浮気はそれを浮気と直感したときに初めて「浮気」問題して、夫婦の眼前に浮上する。
収賄などの政治スキャンダルは、国民的な浮気問題なのだ。それは最初はたんに出来事にすぎない。マスコミがそれに喰いつき、糾弾キャンペーンがなされたとき、それは事件性を帯びる。そして新聞読者の多くがその記事を読み「けしからん!」と立腹したとき出来事は「スキャンダル」な事件として歴史に刻まれるのだ。
だから、私はスキャンダルの追求に血眼のな連中の「正義」が茶番に見えて仕方ない。なぁ、ブンヤよ。諸君等はホントにナベツネと刺し違える根性があるのか?と。
ただ私のようなマスコミはバカだ、な独りにちゃんねる的態度はなんの生産性もないだろう。その点、「ペルソナ」の行間から読み取れる猪瀬の見識は明確だ。マスコミは昔も今もそういう動物なのだ、と。
そしてその諦念から出発すること。日本の近代国家の成り立ちについて、人物評価やその挿話など、世の中的には何気なく語り継がれてきた飲み屋のマッチ的出来事を再度点検する試みに、三島由紀夫はうってつけの触媒なのかもしれない。