加太こうじ「紙芝居昭和史」
岩波現代文庫 ISBN:4006030967)

歴史を振り返るということは、なにも後ろ向きなことではない。けれども、それは歴史が我々に未来の指針を与えてくれる風な温故知新の意には留まらない。歴史の最大の醍醐味は「ありえたかもしれない別の現在」を過去のうちに読みとるに他ならない。
「紙芝居昭和史」は、紙芝居界のボス的存在だった加太こうじがクールに綴った紙芝居の「生き様」の書である。加太の筆致には「たかが紙芝居と馬鹿にすることなかれ」という気負いが全くない。
むろんそれは紙芝居が戦後壊滅してしまったことと無関係ではないだろう。ただ、加太は己が紙芝居の中心にありながら、その行く末の見込みのなさを素朴に直感していたのではないだろうか。いや、だからこそ彼は紙芝居業界を束ねようと尽力したのだ。そんな風に思わせるほど、紙芝居を通して出会った人々に対する加太のまなざしのやさしい。以下68ページより宮倉芳山という脚本家との出会い部分を引用。

宮倉は、自分の原稿を示し、この場面はこう描け、この場面はこうせよと指示し、あげくの果てには、
「こうじ君、倒れながら、叫ぶ恰好はこうだ、さ、早いところ、スケッチしてくれ」と、一人芝居をしてみせるのだった。私は、宮倉にさまざまなポーズをしてもらってクロッキーをとった。ときおり、動物が殺される悲鳴が夜の空気をつん裂くようにきこえてくる長屋へ、幾晩か通い。やせ細った四十男の宮倉が、女房子どもがあきれるのもかまわずにする一人芝居をクロッキーしているいうちに、私は宮倉の情熱に打たれ、紙芝居を作ることを、おろそかにしてはいけないと思うようになった。

加太が愛したのは紙芝居の客である子供たちよりも、紙芝居を生業にしている画家やその周囲のギョーカイ人だったかもしれない。彼らの紙芝居に対する真摯さは、人生に対する天真爛漫な無防備さ。打算のなさのある側面だった。以下131ページより引用。

加太グループが画劇会社の編集部員の伊藤雅美を中心に喫茶店”ミチル”で、文学論から脱線した冗談のやりとりを、ジャズやタンゴを伴奏にくり返していれば、松永グループは歌謡曲伴奏で当代挿絵作家の技術や、浪花節は芸術か非芸術かなどと論じていた。

内田樹のいう「賞味期限つきの思考」とは、我々はいつのまにか自明のものにしているその時代のものの見方に対する警句だと思う。上に引いた喫茶店でたむろする紙芝居画家たちに明日は我が身の、未来への懸念など微塵もないようにみえる。加太は紙芝居隆盛の時代を生き、戦後の紙芝居の臨終を見届けた。繰り返しになるが、彼はそうした紙芝居の暗澹たる未来を案じたがゆえに、紙芝居と関わり続けたように思う。
画業を磨き台本を練る。紙芝居やの説明者を教育する。全国的な流通システムを構築する。賃金闘争で勝利をもぎ取る。加太の淡々した筆致のむこうに、紙芝居が業界として像をむすぶ。紙芝居、往時それは子供の娯楽であり、芸術であり、ビジネスだった。