○「イージーリスニング」というシールを剥ぐ
仮に、イージーリスニングを聴く高校生伊藤君がいたとする。
おそらく彼の友人のクサタオ(仮名)は、
「いーじーりすにんぐ? エンヤとか?」
と苦笑するだろう。
それに対して、「まあね(苦笑)」で応じる場合と「リチャード・クレーダーマンだよ」と真顔で応対する場合の2とおりの伊藤君が予想されうる。
私が注目しているのは、真顔で応える伊藤君の方で、彼には、いわゆる「イージーリスニング」を聴きながら、純粋に音楽に向き合っている気配はないか?ということだ。もっと言えば、音楽のジャンルなんて、とってつけたような印にすぎず、それを剥いでしまえばライオン口の温泉の如く迸りだすもの、それが音楽の本質ではないか?ということ。
そういう意味で、私は小林旭を聴いている。