吉田修一「熱帯魚」(「熱帯魚」収録)読了
(文春文庫 ISBN:4167665026)

友人でコントの演出を手がけたことのある男がいる。それが生業ではない。行きがかり上そうなったらしい。人生とは、行きががりの連続である。最近は言わなくなったが、コント演出直後の彼は盛んに私をいつか役者として起用したいと口にした。私はまんざらでもない風な返答をしながら、白衣を着てホワイトボードに落書きしながらエッチなヨタをとばしている舞台上の自分を想像などした。何故、白衣姿の自分が浮かぶのかは全く分からないが連想とは大概突飛なものだ。
「熱帯魚」は読んだ瞬間、体中を電流が走った。その電流は比喩でありながら比喩ではいほど強烈さで私を捉えた。そして
「コレぞ俺が待ち望んでいた脚本(ホン)だ!」と直感した。
大輔は大工見習い。歳は三〇前後くらいか。もうそろそろ独り立ちしようという頃合いの経験を現場で積んいる。
彼は、大学教授の持ち物のマンションの一室に格安の家賃で暮らしている。同棲する美人の女がおり、彼女には三歳くらいの娘がいる。そして大輔の弟だった光男も一緒に暮らしている。弟だったというのは、彼の母親と弟の父親がかつて夫婦だったという意味だ。光男はとても痩せた色白な青年で、日がな一日家のなかで熱帯魚を鑑賞している。
大輔は自分の生活に大変満足しながらも、その満足を同じ屋根の下にすむ連中と分かち合いたいと望んでいる。その家族像めいたものを家族でもない彼等にむりや押し付けるから、いやな顔もする。それが大筋だ。
家族とは本来空気のようなもので、その空気に過敏になると空気は空気としてのその自然がなくなってしまう。否、空気はそのままだが、意識し出すと空気はどんどん奇妙に感じられてくる。こんなじゃなかった、と。
吉田修一の小説の特徴は二つある。ひとつは、夏の描写。裸同然の格好でじっとしていてもうっすら汗をかくような、ふわっとした風のもたらす清涼感も込みの日本特有の蒸し暑い、亜亜熱帯とでもいうような日本の夏描写は彼特有なものだ。
もうひとつは、登場人物が住処がちょっとワケありであること。簡単にアパート暮らしとか、実家で両親と住んでいるというようなライフスタイルを彼の小説住人あまり採らない。なにがしかの理由で友人宅の留守番だったり、マンションに格安の家賃で住んでいたりする。要するに「熱帯魚」は典型的な吉田修一ワールドの短編だなのだ。
兎に角エレキのようなエネルギーが私の脳天を直撃した。これぞ探し求めた脚本(ホン)だ、光男は、俺が演る!