殊能将之著「キマイラの新しい城」読了
講談社ノベルズ ISBN:4061823914

ユタ。沖縄の民間霊媒師をいう。大半は女性だと思う。基本的に起業、結婚、新築、疾病など人生の岐路において、彼女たちは活躍する。庶民は人生の指針として、彼女たちのご託宣を参考にしてきたという感じ。
友人の一級建築士師は、ユタに風水的な難癖をつけられ、自分の引いた図面がご破算になってしまったとぼやいていた。施主は自宅の改築にあたって、近代建築の資格保持者よりも風水マスタ−としてのユタ意見を採用したということだ。また、別の友人はユタに干支のコンビネーションが悪いと言われ、結婚を邪魔されたと猛烈に怒っていた(ユタも最終的には折れ、彼は今や三児のパパだ)。
二十一世紀の現代社会においても彼女たちの霊的な信頼は威光を保っているようだ。というか、近代とは別次元の思考とそれに基づく問題解決法が沖縄の場合、ユタとして息づいているということか。
私の両親は戦後民主主義的価値観を明るく「信奉」していたため、霊媒という存在、および旧弊な土俗的問題可決スキームを忌み嫌っていたようで、必然両親からユタに関わる情報を得ることはなかった。ゆえに、私がユタ情報と彼女たちの「暗躍」を知りうるのは、上記のように友人経由のものがほとんどだ。繰り返しになるが、今日においてもユタは沖縄ローカルの精神的支柱であるのだ。しかし私は、彼女たちがどのようにして占うか、あるいは報酬相場をどの程なのか、またユタはどうやってユタになるのか等分からないことだらけだ。そういう意味で戦後民主主義者の両親がうらめしい思わないでもない。
「キマイラの新しい城」はユニークな点は殺人事件の依頼主が、被害者であるということだ。殺人事件の被害者は大概は死人であるから、依頼主は幽霊になる。
ところで、警察機構において幽霊は加害者にも被害者にもなりえない。故に幽霊がらみの事件でも合理的な犯人が求められる。裏を返せば、問題解決の主体が警察でなければ、かかる合理的犯人像に縛られる必然はない。かくして京極夏彦の「京極堂シリーズ」は妖怪が犯人だ!という新境地を拓いた。そして、こうしは次元をずらしの、問題解決が娯楽ミステリーの流行の一基調になっている。「キマイラの新しい城」は、その風潮に抗し、新本格派的な思考(推理小説的なモダン、これまた別次元!)で解決案を差し出す。あまりの馬鹿馬鹿さに幽霊も呆れる始末。
真面目に馬鹿を考え、馬鹿話に丁寧に仕立て上げた、殊能に拍手!いやー、近代は偉大だね。