バリントン J.ベイリー 著「カエアンの聖衣」読了
(ハヤカワSF文庫 冬川 亘訳 ISBN:415010512X)

先だって、友人から私の読書傾向はさっぱり分からないと言われた。そんな風なことは以前から指摘されることなので、「本屋なので幅広く読むようにしている」と応えいている。もはや本屋家業から足を洗った私だが今回もそれを踏襲した。
本当のところ私の読書傾向は、私にしか分からない基準が存在する。それをカンタンにいえば、「アノ感じ」だ。私は「アノ感じ」を求め、日夜本屋を散策し本を読んでいる。
いまにして思えば、本屋に就職したのも、「アノ感じ」との出会いがもっとも期待できると踏んでいたから、と言っても過言ではない。
「アノ感じ」。それについて、具体的に説明をしたいのはヤマヤマだが、今の私にははなはだ手に余るように思う。あえて言うなら、「ぷりぷり県」はまさに「アノ感じ」といえるだろう。吉田戦車のマンガなら何でもイイというわけでないのはそのためだ。左様、私は人(=作者)で本を読んでいない。
後藤明生片岡義男ラファティキプリング武田百合子ボルヘスチェスタトン。私がこのなく敬愛してやまない作家たち。作家で本を読まないと宣言しながら、彼等の名を列挙するのは整合性がないかもしれない。さりながら私は彼等を「判ってはる人たち」として敬愛していることをここに記しておきたい。なにを判っているか、むろん「アノ感じ」に他ならない。
さて、「カエアンの聖衣」はどうだったか?「アノ感じ」に近いがちょっと違うと思った。けれど、それはそれでイイと思う。要するに「カエアンの聖衣」は「アノ感じ」ではないが、それに近い。ちょっと違うがイイ感じ。「ソノ感じ」は今後私の読書の指針になんらかの影響を及ぼすだろうと漠然と予感している。