片岡義男著「日本語の外へ」精読序文

中学の頃、剣道に熱中した。給食のない土曜は学校の近所のスーパーでおにぎりと
350mlのコーラ(私たちはブタ缶と呼んでいた)を買いそれを昼飯とした。今考えれば、母親に弁当を作ってもらえばよかったのだ。ただ当時の私はおにぎりとコーラという猥雑な組み合わせを猛烈に愛したと記憶する。ハヤメシの習慣は今も相変わらずだが、おにぎりにコーラはもはや食う体力を持ち合わせていない。繰り返すが、今もって飯を食うの半端でなく早い。一気食い、一気飲みはサラリーマンの嗜みと信じて疑わない。ただ、躊躇するのは一気読みだけだ。今読む終えた新書は、果たしてホントに読み終えたと宣言するほど私は何かを汲み取っただろうか。あるいは、私にそれを一気読みするだけの素養、蓄積があったろうか?
かくして私は、行きつ戻りつのあまり効率的でない読書スタイルを採っている。近年は片岡義男に凝っているが、私にとって彼は著者であるというよりテクストそのものとして認識される。彼はよくしゃべるが、「おしゃべり」ではない。端的にしゃべるその手際のよさと風変わりなユーモアがチャーミングに思う。
2003年度の私の収穫本のベスト1に彼の「日本語の外へ」を据えた。行きつ戻りつの読書スタイルを採る私が片岡義男の「日本語の外へ」を一等に据えるということは、今後も「日本語の外へ」を読んでいく、付き合っていくことを必然的に意味する。
この文章は、そのための序文に相当し、片岡義男著「日本語の外へ」精読を散発的に綴っていきたい思う。


日本語の外へ
片岡 義男

角川書店
2003-09
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