子安宣邦著「本居宣長
岩波現代文庫 ISBN:4006000588
「オマエ、ラムちゃん観てないだろっ!」的四十過ぎのアニ研の先輩の説教がうざいのは、ただ自分の思い出としてのアニメ体験を他人に押し付けようとする無神経に起因する。
日本アニメーションのその特徴、良さは色々あるだろうが、繊細な感情表現の形式は
特筆に値するだろう。だから、「ラムちゃんを観ろ!」的な先輩風的態度とは、彼が好んでみたアニメ作品がその人格形成に人文的潤い、とりわけ自己を相対化するユーモアを供給しえなかったことを自ら暴露するものである。「うる星やつら」が良いアニメであることの説明責任は、天皇が神から人間になろうが、「ラムちゃんは良い」と確信する側にである。「ラムちゃん」と当世の大学アニ研の若者が好んで観ていそうな「ほしのこえ」や押井アニメを繋いで語る責務が。
子安宣邦の「本居宣長」を読んでいると、本居宣長は、「オマエ、ラムちゃん観ろ!」の恫喝先輩風だったと思う。宣長は「良いものは良い」の主観ループの外へ出ることは、結局なかった。
むろん、筆者の目論みは卓越した頭脳を無駄に使った、江戸人の思考批判ではない。子安は、説明責任が手続きなしにうっちゃられ、「ラムちゃんは良い」的主観が共同幻想化するその過程をつぶさに観察検証していこうというのだ。モグラたたきゲームのモグラの動きをピコピコハンマーを捨ててじっと見据えるオッサンの姿が浮かぶ。本居宣長は電波だろうが、子安も相当ケッタイなおっさんだと思う。敬服。