○メディアは消費材である。

大塚英志著「「おたく」の精神史 1980年代論」(ISBN:I4061497030)、72ページより引用。

吉本は「コム・デ・ギャルソン」と埴谷の「死霊」も等価である、と断言する。
(中略)
吉本は同じ文章のなかで、『anan』に関し
「先進資本主義日本の中流ないし下流の女子賃金労働者は、こんなフォッション便覧を眼くばりするような消費生活をもてるほど豊かになったのか、と読まれるべき」だ、とも語る。

吉本の「死霊」と「ギャルソン」は等価だという吉本の思想もそれらと等価であると大塚は言いたげだ。もっと踏込んで言うと、「多重人格探偵サイコ」も吉本隆明の著作や「死霊」と等価である、と大塚は暗に言っているのだ。

要するにそれらは商品であり、消費者はどれでも好きなものを買う自由があるということ。そして作り手の大塚とって、大衆っていうのはいつも熱中屋さんの割に移り気で、そんなちゃらんぽらんな移り気な大衆に愛着というか共感があるということかな?
高村光太郎の嫁は、東京に空がないと言った。その伝でゆけば大塚には空がない。

講談社現代新書というパッケ−ジは、日本で一番普及した教養新書のはず。
なのに、なんでこんな言い訳をぐずぐずと綴るのか?大塚さんの編集者とての資質を疑われるぞ。「大塚さんてホントはいい人なんだなぁ」と思わせる絶好な機会を逸したね。