買った本
高平哲郎著「ぼくらの70年代」(晶文社 ISBN:4794966024
七〇年代は明らかに若者の時代の幕開けだった。若者の時代とは、メーカーやマスコミが若者をターゲットに商品やその広告をどんどん作っていくという意味だ。若者の感性が商品となりうる時代だった。趣味で金が貰える、好きなことが仕事になる。耳に響きの良い文句だが、裏返せば自分が世の中を牽引していると信じられる時期は幸福だが、世間がまるっきり他人のように自分と噛み合なくなると、最悪ということだ。

高平が趣味や感性で生きていこうとするとき、ちょっと上の世代のような計算がまるでないのに共感する。それは「私」だ、とはっきり言える。あるときは晶文社の嘱託社員、またあるときはマッキャン博報堂の社員、そしてあるときは、「笑っている場合ですよ」のブレーン。千変万化、八面六臂のに動きまわる高平。当時の私は小学生。けれどそれはまごうことなく「私」であると確信する。私の将来を彼は一足先に生きた。

ひとつ年上の従兄弟は漫画が抜群に上手かった。彼は小4の頃に「ワルワル牧師」というタイトルのストーリー仕立てのギャグ漫画を描いた。彼の影響で動物を擬人化した(ディズニーの影響もこの従兄弟経由だった)キャラクターを描いていた私は、彼が新たなステージに上ったこと気づき少々狼狽した。なぜ狼狽したかというと、彼が面白いと思い彼の画風に採用した、赤塚不二夫テイストが、私には全くピンとこなかったからだ。確かに「天才バカボン」は面白い。けど可愛らしくない。この可愛らしくなさが私にはどうしても赤塚マンがにノレない点であった。ある意味気分は「ドラえもん」だった。要するに、当時の私は漫画を読者としてみているのでなく、描くものだとして捉えていたのだ。

従兄弟からの感性的な独立を私は小3のときに果たした。七〇年代、サブカルメインカルチャー化していくとき、私はそれを全面的に受け入れる質のものでないと悟った。

七〇年代、小学生だった当時を名詞で綴るなら、こんな感じ。
マジンガーZ、学研の「科学」と「学習」、ドリフ、欽ちゃん、タイガーマスク少年チャンピオン、リコーマイティーチャー、「マカロニほうれん荘」、「宇宙戦艦ヤマト」、「ザ・ベストテン」、少年ジャンプ、江口寿司、沖縄海洋博、オセロ、カプセラ、ロボコンミクロマン、書道教室、そろばん塾、ちかれたなー、ああちかれたびー。


ひとつ年上の従兄弟は現在、田舎で弁護士になっている。頭に白いものが目立ってきたと叔母(彼の母親)から聞いた。