高田崇史著「QED-百人一首の呪」(講談社文庫)読了。
高田崇史著「QED-六歌仙の呪」(講談社文庫)読了。

探偵役の「タタル」こと桑原崇は漢方薬局に勤務する薬剤師。
病に対する治療方法として、漢方的なアプローチの有効性には一家言あるようだ。
タタルの説明をかいつまめば、西洋医学が薬効や手術による摘出など患部の治癒に重きを置くのに対し、東洋医学は、患部は身体のゆがみの一現象とらえ、身体のゆがみをケアすることで患部も完治を目指すって感じか。
 犯罪とは疾病である。
桑原はそう考えている。
桑原流にの犯罪=疾病論に従えば、犯罪(=疾病)の原因では、犯人となる。
彼を逮捕し、動機の究明する警察的犯罪捜査は西洋医学的だいうことか。

桑原の方法論が従来の探偵小説とも異なるのは、犯罪手段や犯罪動機への執着の薄さである。それは東洋医療の応用をもって犯罪推理する点に基因するのだろう。

犯罪(疾病)の背後にある、大きなゆがみ、ゆがみをゆがみと認識できてない大きな錯誤を言い当てる作業こそ重要で、それが犯罪(疾病)の完治につながるということだ。
百人一首のや六歌仙の謎の解明が重要なのはそのためである。
 
桑原の歌人や日本史に関する膨大なまめ知識の総体は、殺人がなければ、誰も聞く耳を持たない無駄話でしかない。
そういう意味では、殺人と百人一首と桑原の蘊蓄が合体した結果あらたなテクストが浮上し、彼の証明は完成するのだ。
むろんそれは桑原による殺人事件というテクストの「解釈」に他ならない。

QEDシリーズで、私の不満は桑原のそいった信条を彼の友人は全く理解してない点だ。
どのツラさげて連中は桑原の友人顔できるのだろうか?
以下にデリカシーを欠いた言動を挙げ、彼等に友人としての最低限のマナーを期したい。

○ワトソン役の棚旗奈々は、首を傾げるの禁止。

○桑原の友人「熊つ崎」こと、小松崎は「おいっ、タタル!いい加減にしろ」と怒鳴るの禁止。