NHK総合「その時 歴史が動いた」ニッポン外交力誕生 〜伊藤博文・神戸事件解決〜の回をみた

ウィキ「神戸事件」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

神戸事件(こうべじけん)は、慶応4年1月11日(1868年2月4日)、神戸三宮神社前で備前藩(現・岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人水兵を負傷させた事件。明治政府初の外交問題となった。

この事件により、一時、外国軍が神戸中心部を占拠するなどの動きにまで発展したが、その際に問題を起こした隊の責任者であった滝善三郎が切腹する事で一応の解決を見た。


新政府が発足して初めて直面した外交事案「神戸事件」。この難問解決に伊藤博文が抜擢され、彼の英断と交渉の尽力によって、西欧列強との武力衝突を回避に成功した、というのが今日観た「その時 歴史が動いた」の筋書き。
思いっきり伊藤博文万歳!な史観が噴射していてビックリ!マツダイラさん、マツダイラさん、ご注進、ご注進。それじゃ腹ぁ切った滝善三郎が浮かばれねぇーつーの!

野口武彦の「兵庫港マルクス商会」(「幕末伝説」収録)によれば、伊藤を表に立てての「万国公法」に則り、事件責任者の滝善三郎切腹で手打ちといったお膳立ては、どうやら岩下方平、寺島宗則、五代才助などの薩摩の面々によったものらしい。
岩下方平などは生麦事件の藩代表交渉役だった。けれど生麦の際の粘り腰が神戸ではまった見られないと、野口は指摘している。
「責任者を処罰しろ」
と列強は責めたてた。けど責められたからと言って、「ハイそうですか」というじゃ外交はつとまらない。ホントに滝善三郎が悪かったのか?フランス水兵側に落ち度はなかったか?そういう具合に交渉するのが筋だろう。なんせ生麦じゃやってるんだから。
けれど、そういう交渉は一切なかった。かくして滝に切腹が申し渡された。
といっても、生麦で培った交渉術を新政府の中枢にある薩摩勢が忘れたわけではない。
むしろ逆だ。新政府の命で事件責任者を裁くこと。このパフォーマンスによって、外交権も徳川将軍でなく、新政府サイドが掌握していると対外的にアピールしたのだ。
滝は、処罰しろという外圧のために死んだのではない。彼は外圧を利用して外交権を確立せんとした新政府の人柱として死なされた。



ウィキ「生麦事件
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