book][history]

○気になる書評

日本海海戦とメディア 秋山真之神話批判 [著]木村勲
[掲載]2006年07月02日
[評者]野口武彦(文芸評論家)

http://book.asahi.com/review/TKY200607040416.html

クローズアップされたのはもっぱら秋山の頭脳と東郷の神業である。実際の戦闘では不可避的に発生する齟齬(そご)・見込み違い・戦術ミスといった失点は隠蔽(いんぺい)され、無謬(むびゅう)神話が作り上げられる。(1)ロシア艦隊の針路判断に悩み、一度は津軽海峡に向かいかけた、(2)秋山の「丁字戦法」が机上案として批判を浴びた、(3)繋留(けいりゅう)機雷作戦が「天気晴朗なれども波高し」という気候条件で中止された、(4)いったん取り逃がしかけたロシア艦隊を捕捉殲滅(かいめつ)できたのは第二艦隊長上村(かみむら)彦之丞が命令を無視した「独断専行」の結果だった等々の事項が戦史の表面から消去されたとするのである。

戦史の文学的脚色を実証する文献批評は精密だ。たしかに公刊戦史と『坂の上の雲』の間には、鎖の一環として存在すべき古典的な歴史の書物が欠けている。

爆笑問題の太田は、かなり司馬遼ファンのようだ。上記の朝日書評は彼は読んだだろうか。是非ともその感想を聞いてみたい。
司馬遼も亡くなって10年がたつ。版元は字をデカくした文庫新装版を出したり、エッセーを年代順に編纂したり、短編を拾い集めたりと司馬コンテンツをフル活用驀進の昨今だ。
しかし、そうした編集諸氏の発奮にもかかわらず、司馬遼作品の売れ行きにカゲリが見えはじめている。かつての「バカ売れ」は、今や「やや売れ」へとシフトしているというのが、書店で働く40歳前後の人たち共通の感触でないだろうか。別の言い方をすれば、今日司馬の編集担当者のあの手この手のココロミは、司馬遼太郎をフィーチャーすることで文庫棚の司馬遼作品の延命策側の面がなきにしもあらずと私は見ている。
小説は史実を捉える道具でなく、妄想の翼だ。上記の野口評を読んだとき、私はそう思った。
司馬遼作品の実証における欠陥は大きな欠陥かもしれないが、致命傷ではない。むしろその欠陥は司馬遼作品を無意味な史観の綱引きから解放し、それらが白髪のオカッパ眼鏡男のどえらい妄想であったという驚くべき、のっぴきならない当たり前を我々に突付けている。



日本海海戦とメディア―秋山真之神話批判
日本海海戦とメディア―秋山真之神話批判木村 勲

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