○「劇画家といえども太陽の下で光合成をせねば血行が悪くなる。人間も動物も、太陽の光があるから生きているんだ。だから忙しいと、俺は外へ出るんだよ。」 (平田談)


平田弘史って人は時代劇画の人。けっして巧くない。ただ、殺気立った気配がその作品からびしびしと匂っくる希有な画力の人物だ。
むろん、漫画本は印刷物であるから、平田作品のそのアウラのてんこ盛り感は、俺の主観的なものに過ぎないとどこかで醒めていた。が、今回たけくまメモ,「平田弘史・もうひとつの伝説」を読むにつけ、先生のあのアウラはやっぱり本物だと了解した。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2004/12/post_3.html

たとえば新作にとりかかる前、先生はおもむろに方眼紙をとり出して図面を引きはじめる。マンガのネームではない。それは「その作品を描く専用の“机”」の設計図なのだ。
(中略)
ほかに先生に関する業界の伝説では、

●時代劇執筆中、人を斬る感触がどうしてもわからず、骨董屋で日本刀を入手してそこらの野良犬を斬りまくった。とか、

●親の代からの敬虔な天理教信者(これは本当)で、あるとき教団本部から「教祖・中山みき伝」の執筆を依頼された。例によって数年かけて歴史的資料にあたり徹底的に調べ上げたところ、「現在の本部の教えは間違っている」との結論に達し、仕事を降板した。

イカすぜっ、平田弘史先生!!
というわけで、たけくまさんの「平田弘史先生訪問記(其ノ零)〜(其ノ弐)も読んだ。
先生のもののふっぷりに、今までの俺が漠然と描いていた侍観は間違っていたと悟った。
たとえば、司馬遼の幕末に材をとったものを読んでいると、観念に殉じる武士階級の硬直した行動様式を随分冷淡に書いている。けども元来武士とは、平田先生のように自助の精神で外界からの情報を飄々と取捨選択する態度をいうんじゃないかと思ってみたが、平田先生を基準に論理構築するのは、危険なので止した。

たけくまメモ,「平田弘史先生訪問記(其ノ零)
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/05/post_566c.html#more


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